CBCラジオ『ドラ魂キング』「川上憲伸、挑戦のキセキ」は、野球解説者の川上憲伸さんが、自身のプロ野球人生を「挑戦」という視点から振り返るコーナーです。
12月10日の放送では、ルーキー時代に谷繁元信捕手の頭部にデッドボールを当ててしまったエピソードについて伺いました。立浪和義さんの橋渡しで実現した謝罪の電話、そして谷繁さんから返ってきた言葉とは。聞き手は宮部和裕アナウンサーです。
立浪さんの橋渡し
谷繁さんに頭部死球を与えてしまい、なんとか謝りたいと考えた川上さん。谷繁さんと連絡が取れるという立浪和義さんに相談すると、「わかった。今すぐちょっと電話してみるわ、シゲに」と言ってくれたのです。
電話を代わってもらい、川上さんが「すみません、今回は本当に申し訳ないです」と謝罪すると、谷繁さんからは意外な言葉が返ってきました。
「いいよいいよ、大丈夫だよ、明日出るから。あんなことお前気にしとったら試合投げれんようになるから、もう忘れろ」
電話を代わってもらい、川上さんが「すみません、今回は本当に申し訳ないです」と謝罪すると、谷繁さんからは意外な言葉が返ってきました。
「いいよいいよ、大丈夫だよ、明日出るから。あんなことお前気にしとったら試合投げれんようになるから、もう忘れろ」
投手の将来を思う言葉
当たった直後にもかかわらず、自分の心配ではなく、当ててしまった相手投手の心配までしてくれる。川上さんは「さすがキャッチャーだな」と思ったそうです。
「こんなことで気にしてあーだこーだ言っとったら、ずっとインコース投げられなくなるから」
谷繁さんは川上さんの投手としての将来を考えた言葉をかけてくれたのです。
翌日、川上さんはスタジアムで改めて谷繁さんのところへ謝りに行きました。すると谷繁さんは「いいよいいよ、そんなもん。インコース投げないと無理だから」と、再び励ましの言葉をかけてくれたといいます。
電話口では、やはり少し低いトーンで、谷繁さん自身も不安なところはあったのだろうと川上さんは振り返ります。
声には張りがなく、元気がなく、細々とした感じはあった。しかし翌日スタジアムで会った時には、笑顔こそなかったものの、すごく元気な感じで言ってくれたことが印象に残っているそうです。
「こんなことで気にしてあーだこーだ言っとったら、ずっとインコース投げられなくなるから」
谷繁さんは川上さんの投手としての将来を考えた言葉をかけてくれたのです。
翌日、川上さんはスタジアムで改めて谷繁さんのところへ謝りに行きました。すると谷繁さんは「いいよいいよ、そんなもん。インコース投げないと無理だから」と、再び励ましの言葉をかけてくれたといいます。
電話口では、やはり少し低いトーンで、谷繁さん自身も不安なところはあったのだろうと川上さんは振り返ります。
声には張りがなく、元気がなく、細々とした感じはあった。しかし翌日スタジアムで会った時には、笑顔こそなかったものの、すごく元気な感じで言ってくれたことが印象に残っているそうです。
顔周辺への死球の重み
川上さんは、デッドボールを当てた後の自分の気持ちについて語ります。他のバッターに対してインコースを投げる時は、気持ちが散ることはあっても投げられる。しかし、顔周辺に当ててしまった谷繁さんを打席に迎えると、「やっぱり投げられないと思う」と振り返ります。
幸いにも、その年は谷繁さんとの対戦はありませんでした。
「今後どうしようかな」と思っていたところ、谷繁さんが中日ドラゴンズに移籍してきてくれたのです。「それが一番うれしかったです」と川上さんは笑います。
「バッテリーを組めるからではなく、敵でいなくなってくれて対戦しなくて済む」というのが本音でした。それぐらい、頭部へのデッドボールは投手にとって重いものなのです。
幸いにも、その年は谷繁さんとの対戦はありませんでした。
「今後どうしようかな」と思っていたところ、谷繁さんが中日ドラゴンズに移籍してきてくれたのです。「それが一番うれしかったです」と川上さんは笑います。
「バッテリーを組めるからではなく、敵でいなくなってくれて対戦しなくて済む」というのが本音でした。それぐらい、頭部へのデッドボールは投手にとって重いものなのです。
あの言葉がなかったら
デッドボールは当てる箇所によって投手の反省の度合いも違うと川上さんは語ります。「しっかり避けろよ」「避けられるだろう」と思う場面もあるものの、さすがに顔の周辺に当ててしまうのは良くないと強調しました。
谷繁さんの励ましの言葉がなかったら、その後の投手人生に影響していたか。宮部が尋ねると、川上さんはこう答えました。
「あったでしょうね」
お互いの野球人生に影響しかねない頭部死球。ライバルチームのエースキャッチャーながら、谷繁さんは投手の将来を思った言葉で川上さんを救ってくれたのです。
(minto)
谷繁さんの励ましの言葉がなかったら、その後の投手人生に影響していたか。宮部が尋ねると、川上さんはこう答えました。
「あったでしょうね」
お互いの野球人生に影響しかねない頭部死球。ライバルチームのエースキャッチャーながら、谷繁さんは投手の将来を思った言葉で川上さんを救ってくれたのです。
(minto)
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