80年代のアイドルでは抜群の歌唱力を誇りながら、最近は全く表舞台に出てこない歌手の中森明菜さん。
7月15日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』では、ダイノジの大谷ノブ彦が、西﨑伸彦著『中森明菜 消えた歌姫』(文藝春秋刊)を紹介しました。
昭和を代表するアイドルに何が起きたのでしょうか。聞き手は若狭敬一アナウンサーです。
中森明菜の謎の記者会見に迫る書籍『消えた歌姫』
べらぼうに面白い
大谷「昭和の歌姫、中森明菜さんのノンフィクション、文藝春秋から出ている『中森明菜 消えた歌姫』という本がべらぼうに面白かったのでその話をします」
この書籍はノンフィクション作家の西﨑伸彦さんが、中森さんの周辺を取材して書き上げたそうです。
中森明菜さんの育ての親、レコーディングスタッフ、事務所関係者、家族など、周りの人の意見を丹念に集めたノンフィクションです。
この書籍はノンフィクション作家の西﨑伸彦さんが、中森さんの周辺を取材して書き上げたそうです。
中森明菜さんの育ての親、レコーディングスタッフ、事務所関係者、家族など、周りの人の意見を丹念に集めたノンフィクションです。
狙いは第二の薬師丸
中森明菜さんは1982年にデビューし、「花の82年組」のひとりでした。
シブがき隊や小泉今日子さんなど個性的なライバルが競う中、中森さんは破格の売り上げを誇りました。
当時、所属していた研音という芸能事務所を大きくしたのは、実は中森明菜さんだと言われているそうです。
大谷「中森明菜さんというのは、本名でやりたいからって芸名をつけるのも拒否した。デビュー前から自分の意思があった人なんです」
中森さんのデビュー曲「スローモーション」は、来生えつこさんと来生たかおさんの楽曲。「セーラー服と機関銃」のコンビです。
中森さんのことを「第二の山口百恵」と称する人がいますが、狙いは薬師丸ひろ子さんだったそうです。
シブがき隊や小泉今日子さんなど個性的なライバルが競う中、中森さんは破格の売り上げを誇りました。
当時、所属していた研音という芸能事務所を大きくしたのは、実は中森明菜さんだと言われているそうです。
大谷「中森明菜さんというのは、本名でやりたいからって芸名をつけるのも拒否した。デビュー前から自分の意思があった人なんです」
中森さんのデビュー曲「スローモーション」は、来生えつこさんと来生たかおさんの楽曲。「セーラー服と機関銃」のコンビです。
中森さんのことを「第二の山口百恵」と称する人がいますが、狙いは薬師丸ひろ子さんだったそうです。
「少女A」の衝撃
セカンドシングル「少女A」がでブレイクしていく中森さんですが、「少女A」については有名な逸話がありました。
柔らかいポップスだったデビュー曲を気に入っていた中森さん。次に用意されたのが不良っぽいイメージで攻めた曲調の「少女A」。
「Aを自分のことだと思って『私のこと、こんな風に思ってるの?』と拒否したのを説得されて嫌々歌ったところ、あのちょっと張りのある怖い感じになったんです」
ジャケット写真は小首をかしげてぶっきらぼうにこちらを見ている中森さん。これも「少女A」のイメージにぴったり重なったそうです。
柔らかいポップスだったデビュー曲を気に入っていた中森さん。次に用意されたのが不良っぽいイメージで攻めた曲調の「少女A」。
「Aを自分のことだと思って『私のこと、こんな風に思ってるの?』と拒否したのを説得されて嫌々歌ったところ、あのちょっと張りのある怖い感じになったんです」
ジャケット写真は小首をかしげてぶっきらぼうにこちらを見ている中森さん。これも「少女A」のイメージにぴったり重なったそうです。
アイドルでなくアーティスト
大谷「だんだんと自分で『この人に曲を提供してもらいたい』と言い出すんですね。ここが中森明菜さんがアイドルではなくアーティストだというところです」
振り付けも衣装も自分で決めていたそうです。
例えば「TATOO」という曲では髪の毛を上げてボディコンのような衣装。「DESIRE -情熱-」ではカツラを被り、「難破船」は加藤登紀子さんの原曲とまるで違う雰囲気でした。
大谷「中森明菜さんは一つ一つの作品に対して、ものすごくクオリティが高いものを求める。その分、スタッフへの当たりも強かったみたいです」
振り付けも衣装も自分で決めていたそうです。
例えば「TATOO」という曲では髪の毛を上げてボディコンのような衣装。「DESIRE -情熱-」ではカツラを被り、「難破船」は加藤登紀子さんの原曲とまるで違う雰囲気でした。
大谷「中森明菜さんは一つ一つの作品に対して、ものすごくクオリティが高いものを求める。その分、スタッフへの当たりも強かったみたいです」
大晦日の記者会見
大谷曰く『消えた歌姫』のハイライトは1989年の大晦日に、近藤真彦さんと一緒に行った記者会見。
当時中森さんと近藤さんには交際の噂がありました。結婚間近など諸説あった中、1989年2月に、写真週刊誌が近藤さんと松田聖子さんの密会をスクープ。
紆余曲折を経て大晦日に会見が行われたのですが、当時テレビ中継で見て驚いた方も多いはず。
大谷「これから、それぞれの道に行きますと。あれ、いろんな説があります。あれは誰が用意して、どういう意図でやったのか?周りの人の声を集めてちゃんと記述しています」
若狭「僕も子供心にぼんやりですけど、お二人は仲が良かったのに、何かに引き離されたのかな?と記憶にあります」
当時中森さんと近藤さんには交際の噂がありました。結婚間近など諸説あった中、1989年2月に、写真週刊誌が近藤さんと松田聖子さんの密会をスクープ。
紆余曲折を経て大晦日に会見が行われたのですが、当時テレビ中継で見て驚いた方も多いはず。
大谷「これから、それぞれの道に行きますと。あれ、いろんな説があります。あれは誰が用意して、どういう意図でやったのか?周りの人の声を集めてちゃんと記述しています」
若狭「僕も子供心にぼんやりですけど、お二人は仲が良かったのに、何かに引き離されたのかな?と記憶にあります」
なぜ金屏風?
この記者会見は大晦日、NHK紅白歌合戦の裏番組として生放送されました。
大谷「しかも、それぞれの道を行くと言いながら、なぜか後ろは金屏風だった」
若狭「そうそうそうそう。思い出した思い出した」
1989年は平成元年。昭和の終わりです。この直後に中森明菜さんはデビュー以来在籍していた研音を辞め、所属事務所もなくフリーになって迷走していきました。
現在までの間、ドラマ出演やカバーアルバム制作もありましたが、80年代の輝きはありません。
大谷「その後、明菜さんの身に何が起きたか?ここにメリー喜多川さんがどう関わっていたか?現在のジャニーズ事務所の問題とも通じるものがあるので、ぜひ読んで欲しいです」
大谷「しかも、それぞれの道を行くと言いながら、なぜか後ろは金屏風だった」
若狭「そうそうそうそう。思い出した思い出した」
1989年は平成元年。昭和の終わりです。この直後に中森明菜さんはデビュー以来在籍していた研音を辞め、所属事務所もなくフリーになって迷走していきました。
現在までの間、ドラマ出演やカバーアルバム制作もありましたが、80年代の輝きはありません。
大谷「その後、明菜さんの身に何が起きたか?ここにメリー喜多川さんがどう関わっていたか?現在のジャニーズ事務所の問題とも通じるものがあるので、ぜひ読んで欲しいです」
ずっと待ってます
大谷「中森明菜さんは日本の宝だと思うんですよ。あんなシンガーいませんから。この放送を聴いてるわけじゃないと思いますけども、元気でいて欲しいという気持ちがあります」
若狭「radikoタイムフリーで『スポ音』に合わせてる可能性ありますよ(笑)」
大谷「ありますかね?もしあるんだったら、いつかお目にかかれる日を、僕たちずっと待ってますから。ちなみに中森明菜さんで一番好きな曲なんですか?」
なぜか中森さんが放送を聴いている前提になってテンションが上がる大谷と若狭。
「二人静-「天河伝説殺人事件」より」の名前が挙がりましたが、話が盛り上がった「北ウイング」でコーナーは終了。
大谷と若狭の心は北ウイングから中森明菜さんのもとへ飛び立っていきました。
(尾関)
若狭「radikoタイムフリーで『スポ音』に合わせてる可能性ありますよ(笑)」
大谷「ありますかね?もしあるんだったら、いつかお目にかかれる日を、僕たちずっと待ってますから。ちなみに中森明菜さんで一番好きな曲なんですか?」
なぜか中森さんが放送を聴いている前提になってテンションが上がる大谷と若狭。
「二人静-「天河伝説殺人事件」より」の名前が挙がりましたが、話が盛り上がった「北ウイング」でコーナーは終了。
大谷と若狭の心は北ウイングから中森明菜さんのもとへ飛び立っていきました。
(尾関)
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