若狭敬一のスポ音

間寛平激白。マラソンの入り口は瀬古利彦との2日連続デッドヒート

先日が吉本新喜劇史上初のゼネラルマネジャー(GM)就任が決まったタレントの間寛平さんが、2月19日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』に出演しました。

ギャグ誕生秘話やマラソンを始めたきっかけなど、トークマラソンが出来るくらい話は尽きませんでした。

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かい~の

間「新喜劇のメンバーって自分の出番終わったらボーッと立ってますよね」

その時、寛平さんも自分のセリフが終わり、後ろへ下がっていたそうです。すると…。

間「ケツがかいい、なってきたんですよ。ほんでわからんようにテーブルの角でかいてたんですよ。
ほんなら(池乃)めだかちゃんが何してんの?言うから『かい~の』って言うたら客が爆笑したんですよ」

これが寛平さんのギャグ「かい~の」の始まり。寛平さんのギャグは全て、舞台のアドリブからできたそうです。
 

一番最初のギャグ

間「一番最初にできたんが、『負けそ~』いうギャグなんですよ。それは、亡くなりましたけど木村進ちゃんとコンビのようにやってた時にできたんですよ」

学園物の舞台。ケンカになって、木村さんにボコボコにやられた寛平さん。その時に出たのが「負けそ~」。

間「これが爆笑したんですよ。『負けそうって、負けてるやん』って客もツッコむぐらい」
 

昭和歌謡、最大の謎

「負けそ~」が関西で流行った時に、歌番組の司会を西川きよしさんとしたそうです。
本来なら「横山やすし・西川きよし」の漫才コンビの司会だったのですが…

間「やすし兄さんがちょっといろいろありまして、僕が代わりにやってたんですよ」

15分の歌番組。東京から来る歌手たちと3~4日分を撮っていたそうです。

間「その時に『負けそ~』言うたら、客が知ってるからウケるでしょ?ほんなら、東京から来た歌手の人らが『負けそ~』を関東に持って行って言うてくれたんですよ」

すると関東でも「負けそ~」が流行ってきたそうで、その後に出たのが阿久悠さん作詞、ピンクレディーの「サウスポー」。
「サウスポー」の歌詞の中には、「負けそう、負けそう」という部分があります。

間「あれ、たぶん僕からパクったと思います。僕が勝手に思ってるだけですけど」

既に故人の阿久悠さんには確かめようがありませんが、真相は如何に…
 

沼津でマラソン

寛平さんと言えばマラソン。3月26日には寛平さんがコースを考えた「寛平アメマナイトマラソン in 沼津2022」が開催されます。今回で2回目。

開催のきっかけはタクシー運転手の言葉だそうです。
沼津には吉本興業の劇場があり、寛平さんは、新幹線の三島からよくタクシーで沼津まで行くんだそうです。

ある時、タクシー運転手に言われたのが「沼津、すごいダメやねん。落ち込んでるねん。なんとか元気づけてくれへんかなあ?」との言葉。

もちろん関西弁ではありませんが、そこで寛平さんが考えたのは、やっぱりマラソンでした。
 

警察にも行った

寛平さんは石川県で9月に「加賀温泉郷寛平Nightマラソン」を開催しています。
4月に行われる「加賀温泉郷マラソン」とは違った良さがあります。

間「それがすごい人気で、今は抽選でしか走れないんですけど、もう6回目かな。
コースも全部作って、沼津警察に行ったんですよ。OKしてくれて去年、すごい盛り上がって、じゃあ今年もということになったんです」

コースは3つ。5キロ、10キロ、25キロ。
25キロが午後5時スタートのナイトマラソンで、ゴールするのはだいたい午後9時だそうです。
 

夜走る魅力

間「僕、ギリシアで246キロマラソンとか不眠不休で走るやつとか、ずっとやってたんですよ。真っ暗な中を走るって、何なん?っていうぐらい自分の世界に入っていくんですよ」

寛平さんは、地球を一周するアースマラソンの前に、ギリシアのアテネ-スパルタ間246キロを36時間で走り切るスパルタスロン、モロッコで7日間走り続けたサハラマラソンという過酷な大会に参加しています。

その経験から生まれたのが「加賀温泉郷寛平Nightマラソン」のようです。
このマラソンは、こんなことも起こるんだとか。

間「懐中電灯が切れたら、後ろから来た人が一緒に走ってくれるんですよ。助け合うんですよ」

「寛平アメマナイトマラソン in 沼津2022」の魅力は桜。

間「香貫山に桜が咲いて、そこをライトアップしてるからもの凄く綺麗なんです。桜がいっぱい咲いてる下を走っていくんです。上まで上がったら沼津の夜景が綺麗に見えてね」

ランナーが走っている間は、同伴者や家族が楽しめるように舞台があって、そこで漫才などが行われているそうです。
 

マラソンのきっかけは瀬古利彦

寛平さんが走り始めたのは、借金だらけの時に見た夢がきっかけだったそうです。

ちなみに寛平さんは先輩芸人など複数の連帯保証人になり、1978年ごろから借金が増え始めました。

1986年、深夜番組のキャラクター、アメママンの「アメマバッジ」で一気に返済を狙いましたが外れて、借金は6,000万円に膨れ上がりました。
その時に見たのが瀬古利彦さんとデッドヒートをしている夢。しかも2日連続。

マラソン解説者で有名な瀬古さんですが、当時のマラソン界では世界の瀬古選手でした。

 

いっぺん走ってみたら?

この夢を、飲みに誘ってくれた池乃めだかさんに相談すると…。

間「めだかちゃんが『いっぺん走ってみたら?』。で、俺も『タバコも止めて一回走ってみようかな』言うて、そっから走り出したんですよ。
で、地球一周まで行ったんですよ。今、走るブームが出来たじゃないですか」

舞台上で、めだかさんのツッコミで「かい~の」がサラッと出来たように、めだかさんの言葉でサラッと走り始めた寛平さん。走る魅力については?

「走ってたら、どこが調子悪い、どこが調子ええとか、自分の体がよう分かりますよね。ほんで悩みもなくなりますよね」と言う間寛平さんでした。

夜の大会に出たことのない方は、寛平さんのナイトマラソンに一度参加してみてはいかがでしょうか? 
(尾関)
 
若狭敬一のスポ音
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2022年02月19日15時31分~抜粋

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