若狭敬一のスポ音

代打の神様・高井保弘を知っていますか?

プロ野球で「代打本塁打27本」の世界記録を持つ元阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)の内野手・高井保弘さんが、昨年12月に亡くなられました。

同じく元阪急の選手で野球解説者の山田久志さんが、3月7日放送の『若狭敬一のスポ音』に出演し、黄金時代をともに支えた高井保弘さんについて語りました。
聞き手は若狭敬一アナウンサーです。

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器用なおデブさん

「一言で言えば体型はあんこ型」

高井さんを表現する山田さん。現役時代の公称では173センチ・90キロでしたが、実際はもっとあったそうです。

「守備位置はファースト。先輩には申し訳ないんですけども、ファースト以外はちょっと苦しいね。私が高井さんを見てて、よく感じたのは非常に器用な人だったということ」

高井さんはハンドリング(ミットをはめている方の腕や手首の使い方)が非常に柔らかかったそうです。バッターとしてもリストを使う典型的なタイプだったそうで、リストの強さと柔らかさで飛ばすバッティングなんだとか。

「悪く言えば“おデブさん”というイメージ。でも、それがまた器用だった」
 

投手の癖を見抜く

「それで高井さんがすごいのは、いろんなピッチャーと1回か2回しか会わないんだけど、ポケットに入ってるメモ帳は何センチもある。一人一人のピッチャーの癖を全部書いてる」

こう言いながら山田さんが人差し指と親指で作った幅は3~4センチ。

「だから阪急ブレーブスの中で、ピッチャーの癖を見るというのはナンバーワン。私はそう思うし、おそらくその当時やってた人はみんなそう思ってる」

ベンチでの観察に加え、当時はまだ普及していなかったビデオを見て、投手の癖を探していたそうです。

「1打席に賭ける。代打で指名されたらメモ帳をパッと開いて、相手の癖を見る。それでなきゃこんな記録はできないよ」
 

昔のカーナビ

若狭「今ではビデオカメラもたくさんありますし、スコアラーさんもたくさんいて、いろんな情報が入ります」

山田「いろんな情報をくれるから、あんまり自分の身になってない」

若狭「カーナビに慣れると道を覚えない、みたいなものですね」

山田「いいこと言うね」

二人の会話はカーナビの方へ逸れて行きました。

若狭「ちょっと遠回りだと、ナビのせいにするんですよね」

山田「それは全員一緒。若狭さんだけじゃなく私もそう。カーナビに怒ってるもん」

憤慨する山田さん。
 

勝ち負けに関わらず準備

「昔のカーナビのない時代は自分で道を探して行くから、絶対忘れないんだよ。だから高井さんが自分でパ・リーグのピッチャーを研究したっていうのは、それと同じなんですよ」

無事、高井さんの話に戻ってきました。

「高井さんは一番良い場面で出てた。当時130試合だったと思うんだけど、130試合、全部準備したと思うよ」

勝っていても負けていても必ず代打で出たそうです。

「監督、コーチもやっぱ考えてんですよ。何打席もなくて、さっと行って打ちなさいっていうのは、それはいくら研究してたって打てないでしょう」
 

神様が多すぎ

若狭「代打の神様といえば元阪神タイガースの八木裕さん、桧山進次郎さんとかいろいろ名前が上がります」

山田「一緒にしないでくれ」

強く否定する山田さん。

山田「全く違う。絶対違う。スケールが違う!」

さらに三連続で畳みかけました。

山田「野球で打撃の神様は?」
若狭「川上哲治さん」

山田「ピッチャーの神様は?」
若狭「稲生和久さん」

山田「神様はこれしかいないんだよ。それで代打の神様は?」
若狭「高井さんですか?」

山田「そうなんだよ。盗塁の神様は?」
若狭「福本豊さん」
山田「そうです。そのくらいのことを言ってほしい」

「野球界には神様がいっぱいいすぎる。特に関西の縞模様着てるとこには神様が多すぎる。
それで神様が喧嘩するんだよ」

こう嘆く山田さん。
 

代打でオールスター選出

1974年のオールスターゲームでは、パ・リーグ監督だった野村克也さん(南海ホークス)が、高井さんを監督推薦で選んだそうです。

山田「代打専門職でオールスターに出た人を、若狭さん、誰か知ってる?」
若狭「唯一、私の記憶に出てきたのは、阪神の川藤さん」
山田「あれは実力じゃなくて人気。ちょっと面白いもの見せてやろうってこと」

川藤幸三さんは1986年、現役19年目にして初めてオールスターに監督推薦で出場。この年の引退への花向けとファンサービスの意味がありました。このオールスターでは幻の二塁打を放ち、インタビューでもいじられていました。

若狭「川藤さんも"代打の神様"と言われていたような…」
山田「一緒にするな。彼はキャラクター。野村さんがね、高井さんをオールスターに出したのはそうじゃない」
 

本当にやった

野村さんが高井さんを選んだ理由は?

山田「野村さんが高井さんを一番いい場面で使って、それでホームラン打ったの」
若狭「うわ、カッコいい」
山田「その一打でMVP」
若狭「ええ~!?」

自分のことのように嬉しそうに語る山田さん。

山田「後にも先にも日本シリーズで、代打で選ばれて、ホームランを打ってMVP獲った人は高井さんだけ。いい勉強になったでしょ?」

1974年はすでに3回目のオールスター出場、すっかり常連の山田さんは、高井さんの選出に気が気ではなかったようで…。

山田「『高井さん頑張れ』って応援してたら、本当にやったもんね」
 

たった一振りでMVP

1974年、オールスターゲーム第1戦。
1対2で1点リードされていた9回裏。1死1塁で、野村監督は代打高井をコール。相手ピッチャー松岡弘の2球目をレフトスタンドへホームラン。

高井さんはたった一振りでMVPを獲得したわけですが、実はこのホームラン、オールスター史上初の代打逆転サヨナラホームランでした。

「忘れもしない東京後楽園球場。あの晩は祝杯だった。私は他人をあんまり褒めないタイプなんだけども、高井さんを選んでくれた野村さんには拍手した」
 

オールスターとは

その野村克也さんの話題に。

「野村さんがセ・リーグの監督だった時、パ・リーグの監督だった仰木さんと揉めたことがあるんですよ」

1996年のオールスターゲーム第二戦。
松井秀喜さんの打席の時に、仰木彬監督はファンサービスでピッチャーをイチローさんに変えました。
これに憤慨した野村監督は、松井さんの代打に高津臣吾投手を送りました。

「野村さんはそういうタイプ。オールスターは野球界の最高の選手が集まって最高のパフォーマンスする舞台だっていうのが野村さん。仰木さん(にとってのオールスター)はお祭りですよ」

野村さんの追い求めるオールスターゲーム像を、最高の形で実現したのが高井さんだったのです。そして最後にこう語る山田さん。

「だから"代打の神様"なんですよ」
(尾関)
 
若狭敬一のスポ音
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2020年03月07日13時13分~抜粋

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