若狭敬一のスポ音

山田久志が自身のコーナーに「栄光に近道なし」と名づけた理由

元中日ドラゴンズ監督で野球解説者の山田久志さんは、CBCラジオ『若狭敬一のスポ音』において「栄光に近道なし」というタイトルのコーナーを担当しています。
6月15日の放送では、このコーナータイトルについて語りました。

阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)において、サブマリン投法で球界のレジェンドとして名を連ねる山田さんが、どんな想いをこのタイトルに込めたのでしょうか?

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プロのスタートは7連敗

通常ラジオ番組のコーナータイトルはプロデューサーやディレクターが発案するものですが、この「栄光に近道なし」は山田さん自身が考案したものです。

「野球の世界だけじゃなくて、生活の中の全てのものに"準備"っていうのが一番大事だと思ってるんですよ。人に会うのもそう。仕事でもそう。
準備をしっかりしていくことで、最終的な結果が出てくる。そういう気持ちでいるんですよ」

意外なことに、山田さんのプロ人生は7連敗でスタートしました。
その6敗目に、当時の西本幸雄監督からこう言われたそうです。

「ピッチャーってのは、マウンドへ上がるまでに、どういう準備をしたかで、大体、勝負は見えるんだよ」

この西本監督の言葉と、著書で知った「何かを掴むためには、ひとつずつコツコツとやっていかなければ掴めない」という内容を合わせて、出来たのが「栄光に近道なし」というコーナータイトルだそうです。
 

栄光か勝利か?

「“栄光”というのは“勝利”でもいいんですよ。どっちかにしようかと思ったんですよ」

迷った末「栄光に近道なし」に決めた理由は…。

「勝利の方がプロの勝負師だからいいかなと思ったんだけど、勝利って言うと、勝ちにこだわる、勝利主義者みたいで嫌でしょ?栄光って言ったら壮大な感じがするじゃない」

若い頃、壁にぶち当たって、恩師から言われた言葉というのはいつまでも記憶に残っているものです。

「私には強烈だったね」
 

7連敗の辛さ

話は7連敗に戻ります。

「2連敗3連敗までは、まだ大丈夫。なんとかなるさ、1年頑張ればいいわ、という感じなんだけども、5連敗6連敗になったらね、俺もう勝てないな…ってなる」

しかも開幕からずっと負けぱなし。
プロに入って、勝ち投手の気分を味わったことがなかったのです。

「それを2年かけてやってきてるわけよ。まるまる1年を勝てなくて、次の5月まで勝てていないわけ」

山田さんはデビュー1年目の1969年(昭和44年)、7試合9イニングに出場しています。
そして2年目が開幕からの7連敗。

「えらいとこへ入って来たと思うもんね。なんで、みんな簡単に勝てるんだろう?と思うもんね」

他人のピッチングを羨んでいた山田さん。
 

野手に好かれるピッチャー

「あいつが投げる時は打ちやがって。俺の時はエラーしやがってとか。悪い方、悪い方へ行くんだなあ」

そんな山田さんに西本監督がかけた言葉が「野手に好かれるピッチャーになれ」でした。
西本監督は、さらにこう付け加えたそうです。

「必死になって試合の前にやることは全部やった。それを野手が感じた時に、お前は負け投手になっても、野手は『今日は悪かった。打てなかったし、守ってやれなかった。俺らがもうちょっと打って、守ってやれたら、山田も勝てたのになあ』と思ってくれる。
そういうピッチャーにならなきゃ、この世界ではやっていけないぞ!」
 

7人が後ろにいる

「7人後ろにいるんだもん」と山田さん。

内野、外野合わせて7人の野手が山田さんの背中を見ています。その背中に、その当番の日までの準備が滲み出ているわけです。

「得点取られた時、ホームラン打たれた時…どういう仕草するかも全部、野手もベンチも見てるわけよ。その時にどういうことをしなくちゃいけないかが、自ずとわかってきたら良いピッチャーになっていく」

若い時の7連敗でこのことを学んだ山田さんは、後々20勝や、日本一獲得などでも浮かれることはなかったそうです。
この7連敗が後の284勝に繋がったと思うと、ここで知った、まさに「栄光に近道なし」は、本当に大きかったそうです。
 

最初の3年間に全てがあった

その次に山田さんの人生に影響を与えたのが、王貞治さんの逆転スリーランだそうです。

3年目の1971年、巨人を相手にした日本シリーズ第3戦。
ペナントレースでは22勝していた山田さんは「かかってこんかい」と意気揚々でした。
その好投から1-0完封ペースで迎えた9回裏、巨人の攻撃。

「ツーアウト。バッター王。カッキーン。スリーラン。ガックーンだよ。さよなら逆転スリーラン」とテンポよく言う山田さん。
入団から3年でプロの厳しさを思い知ります。

「ほとんど経験させてもらった。1年目は全部ファーム。一番の思い出は、ロッテの北千住の東京スタジアムで投げて、カン、カン、カーンって打たれた次の日、名古屋行けって言われて、名古屋でファームと合流して、また投げろって、もうめちゃくちゃ」

働き方改革のハの字もない時代です。

「それが当たり前だったんだね。1年目、2年目、3年目のプロの体験は大きかったです」

まさに若い時の苦労は買ってでもしろ、を実感する野球人生です。
(尾関)
 
若狭敬一のスポ音
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2019年06月15日13時18分~抜粋

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