若狭敬一のスポ音

注射3本打ってマウンドへ。山田久志が語る日本シリーズの裏側

今年の4月23日に亡くなられた、元広島カープ選手で野球解説者の衣笠祥雄さん。

8月25日『若狭敬一のスポ音』では、衣笠さんと親しかった野球解説者の山田久志さんが、衣笠さんとの勝負について振り返ります。

1984年(昭和59年)の日本シリーズ、阪急ブレーブス対広島東洋カープの激突。名勝負の裏に秘められた話とは!?

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日本シリーズ、エースの役割

1984年のプロ野球日本シリーズは、4勝3敗で広島カープが日本一を勝ち取りました。
当時、山田久志さんは阪急ブレーブスのエースでした。

山田さんはこの日本シリーズで1戦目、4戦目、7戦目の3試合で登板しています。
「昔の日本シリーズ、1戦目を投げるピッチャーはみんなそうよ」と山田さん。

当時は7戦まで行ったら必ず3試合で先発するのが当たり前だったそうです。
4戦目まで投げて4勝0敗なら1戦目を勝って、4戦目も勝って終わり。5戦、6戦ぐらいで勝利が決まりそうになればリリーフに回ったそうです。開幕と胴上げ投手がエースの役割でした。

「今のプロ野球界では、ほぼ考えられないような感じですね」と驚く若狭に、「それが普通。何も珍しいことないよ。今はやろうとしないからね」と言う山田さんです。

投げ切るも負ける

第1戦は広島市民球場で行われました。山田さんが先発して3対2で広島カープが勝ち、山田さんは完投負け。

「8回に2点取られたのかな。長嶋の神風が吹いたっていうホームラン」

長嶋選手とは現在、ドラゴンズの外野守備走塁コーチの長嶋清幸さんです。

「2アウトからね、ふわふわふわっと上がったやつが、ポール際へポトーンと落ちてね」と淡々と語る山田さんです。
8回の裏に差し掛かるまでは2対1で阪急が1点リードしていましたが、悔しい完投負けでした。

衣笠さんを三振に取る

第2戦は5対2で阪急が勝ちました。今度は一気に9回、阪急が逆転して1勝1敗にしました。第3戦からは西宮球場。8対3で広島の勝ち。そして第4戦。山田さんが登板しましたが3対2で広島の勝ちという結果でした。

「4戦目、あんまり記憶にないんだよね。その時にね、ツーアウト、満塁かになって衣笠って場面があったと思う。三振とった記憶がある。これ二人で飲みながらよく喋ってた」

「『お前、あの時のボールはすごかったなあ。魂のボールだなあ』とかって言われて、『ボールに魂なんか入ってるもんですか』なんて、二人で飲みながらね」

6回まで広島に2対0と抑えられていましたが、7回に阪急が2点入れて同点にしました。しかし山田さんが9回に1点取られて、味方の援護なくそのまま3対2とまた完投負け。

「ピッチャー山根でしょ?あのシュート、スライダーが打てなくてね」広島の先発は山根投手。右のちょっと長身のピッチャーでした。「表情を変えないで黙々と投げるタイプ。カープらしい選手だった」

ちなみに広島は1戦目も山根投手でした。

無理だった7戦目

第5戦は阪急がまた6対2と盛り返します。第6戦目からは広島市民球場に戻り、8対3で阪急の勝ち。

そして第7戦、また山田さんが投げて、3敗目を喫しました。

「この時は言い訳じゃないけど、本当はもう投げれなかった」

実はこの年、阪急のリーグ優勝が決定する寸前、9月の中旬ぐらいから山田さんは膝を痛めていたそうです。日本シリーズの1戦目と4戦目は痛み止めの注射を打ちながらの当番でした。

「この第7戦はもう無理だって監督とかコーチに言ってたんだけども、『もうお前しかおらへんから頼むからいってくれ。お前で負けたら納得するから』って。プレイボールの20分か前にブスっと3本ぐらい打つのよ」

そうすると投げるころに効いてくるということで、さらにテーピングをしながら投げたそうです。

「お医者さんに待機してもらいながら、痛みがきたらまた打ってくれって。あんたらメチャクチャだなって話の試合ですよ」

衣笠さんに打たれる

若狭「よく投げられましたね」
山田「投げられたっていうより、麻痺してるの」
若狭「右膝ですか?」
山田「左。だから余計ダメなの」

「私は特にアンダーハンドだし。左膝で踏ん張れない限りは全くダメだから。ダメって自分でわかってるのに、監督とコーチが行け行けって」

7戦目は阪急が一回の表。弓岡さんが山根投手からソロホームランを打って1点を先制しました。1対0で推移して3回の裏、山田さんは衣笠さんにソロホームランを打たれて1対1。

「そうそう。俺、お前からホームラン打った記憶があるって衣笠さん言ってたからね。いつとは言わなかったけど、あの日本シリーズだったのか。ただね、オープン戦でも甲子園で打たれたような気がする」

行けるとこまで来てる

さらに山田さん、なんだかんだで5回を0点に抑えますが、6回に長嶋選手にソロホームランを浴びました。
結局、この日本シリーズのMVPは長嶋選手でした。「俺のおかげだよ」と笑う山田さん。

「言い訳するんじゃないけど、4回ぐらいに、もうダメだって監督に言ったのよ。私はそういうことは言わない方だったんだけど、もう痛みも限度に来てるし、自分が踏み出してバチッといける感覚がないんですよ」

監督に交代を直訴するも、行けるとこまで行ってくれと説得され…。
「いや、もう行けるとこまで来たって!」と力説する山田さんに大笑いする若狭でした。

あの時のカープは強かった

「笑い話、もう一つ言いましょうか?私がそういう状態だったから、次に控えてるのが今井雄太郎って凄い勝ち星取ったピッチャーなのよ」

今井雄太郎投手は1978年8月31日対ロッテ戦で史上14人目の完全試合を達成した投手です。1984年は21勝を挙げています。

「『雄ちゃん、俺はこんな膝だからわかってるだろうな。俺がダメならスタンバイして、すぐ行かないかんぞ。3勝3敗、日本一かかってるんだよ、これは』って言ったら、『僕はよう行きません。勘弁してください。山田さん、行けるとこまで行ってください』って。監督と同じこと言うんじゃないよ、バカ野郎」

「だから、行けるところまで来たっつーの」とまた笑う若狭でした。今井さんは完全試合を達成したのですが、ハートは強くなかったそうです。「優しすぎるの。びくつくの」と山田さん。

「7回に私が逆転されて、そっから今井雄ちゃんが行ったんだけど試合をボロボロにしてしまって、もう、どうしようもないっていう、そういう試合内容だった。行けるとこまで、もう来たって言ってるのに、もっと頑張ってくれって、そんな馬鹿な話はないよね。あの時のカープは強かったよ」

カープ黄金時代は続く

最近は再び広島カープの黄金時代です。

「当時とよく似てる。一番二番が良くてね。高橋義彦、山崎隆三」
今の田中、菊池みたいな雰囲気です。

「山本浩二を中心にして衣笠、水谷」
今なら鈴木誠也、丸、松山です。

「あの頃のカープは充実したカープだったね。バランスが良かった。やっぱり今のチームと似てるかもね」と言う山田さんに「しばらくこの強い時代は続きそうですね?」と聞く若狭。

「続くね。カープの野球って選手がまた活きが良いもんね。ピッチャーも山根だとか北別府。大野豊。それと左の川口とか。みんな活きが良かったよ。若いしガンガン攻めるピッチャーだったもんね。そうみたら、衣笠さんの頃の時期とダブルね」

注射を打っての登板、壮絶です。当時の強かった広島カープが、現在の好調と重なっているという話も非常に印象的でした。
(尾関)
若狭敬一のスポ音
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2018年08月25日13時20分~抜粋

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