3月24日『若狭敬一のスポ音』の後半は、プロ野球開幕直前スペシャル「星野仙一、人を動かす言葉」と題し、今年1月4日に亡くなった星野仙一さんご本人の声を交えてお送りしました。
野球解説者で、星野さんの盟友でもあった山田久志さんがゲスト出演し、知られざるエピソードを披露しました。
もう一人のゲストは『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(通称・ビリギャル)でおなじみ、心理学を駆使した学習法で、これまでに1,300人以上を個人指導してきた坪田塾塾長の坪田信貴さん。人を育てるという観点から星野さんの言葉を解説しました。
星野仙一さんの完璧すぎる1分40秒のスピーチ
チームごとに監督像が変わる
奇しく放送日は、星野さんの出身地・倉敷でヤングリーグ(全日本硬式野球連盟)開幕の挨拶をしてからの名古屋入り。星野さんも晩年はこどもたちの育成に力を入れていました。
日本のプロ野球の監督で3球団をリーグ優勝に導いたのは三原監督、西本監督と星野監督の三人のみです。
山田「中日の時代の監督と、タイガースでやったときは違う監督になってるんだよね。楽天に行った時は、また違う星野仙一の監督像がある。全部一緒じゃないんですよ」
坪田「それぞれのカルチャーを大切にしながら育てることが大切。2~3年後にどこの球団も優勝させてる。これってまさに種まきをして、育てたという証拠です」
覚悟しとけ
星野仙一さんの声、1987年中日の監督に就任した時の会見の模様です。この時39歳、日本のプロ野球で初めて戦後生まれの監督が誕生しました。
「本日より名誉あるドラゴンズの監督を引き受けさせていただくことになりました。引き受けた以上は身体を張って思い切ってやっていこうと思います。
普通の人が思い切ってやっていこうというのとはちょっと違うということは、次の秋季練習から見ていただければ、皆さん、肌で感じると思います」
そしてドラゴンズ選手の皆さんへという質問には「覚悟しとけ」という言葉が出ました。
一言に込められた思い
「慶応大学行きたいのか、覚悟しとけ。とは、なかなか言えないですよ」と若狭敬一アナ。坪田さんも同意します。
坪田「アマチュアと違い、プロ集団なんだぞっていう意識をすごく伝えたいんだろうなと思います。個人的には、この言葉のトーンからは星野監督の覚悟が聞こえました。むしろ自分におっしゃってるような感じがしました。
戦後生まれ初の監督で、自分としても初めての監督体験。自分なりに結果を絶対出さないといけないという思いが、すごく強く言葉に乗っていたなと思いますね」
山田「さらに星野さんが上手いのは、現場だけじゃなくてフロントまで、そこに入ってくるんですよ。中日を変えていくためには自分が最高責任者で選手にも覚悟をしてもらうけど、フロントのみなさんも覚悟を決めてくれっていう、そこまでの言葉だと私は聞こえるね」
ナゴヤ球場最後のスピーチ
次は星野仙一さんのスピーチです。1996年10月6日、ナゴヤ球場で巨人と最終戦で敗れて巨人の優勝が決まった日です。
このゲームがナゴヤ球場最後のゲームで、翌年からはナゴヤドームでの戦いとなりました。いろんな寂しさを1分42秒という短さにまとめています。
「本来なら、今日ここで皆さんにさよならを言いたくなかった。でも、さよならを言わなきゃいけなくなってしまいました。ジャイアンツファンのみなさん、おめでとう。そして長きに渡り、このドラゴンズ、そしてこのナゴヤ球場を愛してくれまして、本当にありがとうございます。
私にとっても数々の思い出、人生そのものでございます。おそらく後ろにいる選手たちも私と同じ思いだと思います。今年の今日、この悔しさを胸に秘め、来年ドームで出直します。さようならナゴヤ球場。世界一のグラウンドだと思っております。本当に関係者の皆さん、ご近所の皆さん、ありがとうございました。またドームでお会いしましょう。ありがとう」
完璧な1分40秒
山田「一番感動を受けたのは近所の皆さん、ありがとう、だね。どこの球場でもそうだけども、近所の人たちに結構迷惑かけてんのよ。
普通ね、最後のインタビューで『近所の皆さんありがとう』って言葉は思い浮かばないよ。あれ、仙さんじゃなきゃ言えないね。近所の皆さんというのは咄嗟に出たんじゃないかな」
この一言で、近所で迷惑に思っていた人たちが溜飲が下がります。
坪田さんは、星野さんの声にも注目しました。心理学では、言葉とそのトーン、表情、声量、しぐさなどが一致していることを「コングルーエンシー」といいます。
例えば「ありがとう」という言葉を、ぶっきらぼうに「ありがとう」と言うのは「コングルーエンシーが一致していない」と言います。星野さんの言葉は全て、コングルーエンシーに乗っているという坪田さんは言います。
坪田「『ジャイアンツファンの皆さんおめでとう』って序盤でおっしゃって、そこで拍手が起きます。さらにその後、数々の思い出、人生そのものでしたって、自分の思いを伝えてらっしゃる。その瞬間、次にですね、後ろの選手も多分そうでしょうっておっしゃるんですね。
自分がメインで喋ってるわけですから、自分の気持ちを言えばいいだけの話なのに、選手達の気持ちも代弁してるんですよ。常に360度全方位で気遣いをしている、
だからこそ最後の、ご近所の皆さんありがとうございましたって言葉に繋がっているんだと思います。1分40秒で完璧すぎますね」
川上監督からのアドバイス
星野さんは言葉を手紙にしたためて、選手の奥さん、さらには裏方さんの奥さんの誕生日に花束を添えて贈っていたという話があります。
「これ、山田さん、事実?」とズバリ聞く若狭アナ。
「事実です。星野さんが監督時代に、自分でやったのは間違いないですけど、これは、アドバイスをもらった人がいてね。ジャイアンツの川上監督です。川上さんが監督時代にそうやって全部やってたの。
星野さんがNHKの野球解説者時代に、川上監督とのホットラインができたんですよ。それで川上さんからアドバイスを受けて、自分でやっていったんです」と
山田さんの言葉に、坪田さんも若狭も思わず「へぇ~」とハモりました。
全てを掴む気遣い
実際に、星野政権下で活躍していた川又米利さんの奥様が今も大事に保管しているものをお借りしました。
星野仙一さんから贈られた花束とバースデーカード。さらにキャンプ地ベロビーチからは「みんな元気にやっている」という絵ハガキも送っていたんです。
川又さんの奥様の話。
「星野仙一さんが監督になられてからは、他の選手の奥様達といつも集まっては星野監督に頂いたお花のことや、自分達も裏方として一生懸命頑張らないと、と話して気合を入れるようになりました。
食事面でのサポートは絶対なので、中日球団が主催した大学の先生を招いた栄養学講座にもみんなで参加して、身体にいいものの情報交換などを積極的に行いました。その妻集団も、チームのために全力でという雰囲気は星野監督が作って下さいました」
山田「選手の奥さんたちに、栄養学とかそういう面で一番最初に取り組んだのは星野さんじゃないかな。選手は、みんな、好き嫌いがあるわけじゃない。でもそれではダメだっていう、その走りじゃなかったかな」
家族や裏方さんにも目配りをして、全部巻き込んで組織を束ねたという星野仙一さん。「グッとハートを掴まれますね」と若狭。
「グッとどころじゃない。そんなことされたら、参ってしまうよ。何してもついて行こうと思うよ。それで奥さんは必ず選手に言うからね」と言う山田さん。
星野さんの言葉、気配りには坪田さんも感心しきりでした。
(尾関)
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