レポドラ日記

北海道の名付け親!「松浦武四郎」に迫る✨

実は三重県には“北海道の名付け親”と呼ばれている「松浦武四郎」という偉人がいたんです💡❄️
その松浦武四郎生誕200年を記念した企画展が行われている、
三重県津市の三重県総合博物館へ🚗✨🌸

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◆松浦武四郎ってどんな人?

三重県総合博物館 学芸員の
太田光俊さんにお話を伺いました🎤✨



改めまして三重県松阪市出身の「松浦武四郎」
当時の蝦夷地にわたり探査を行い
「北海道」と名付けた人物です💡

ただ、蝦夷地へ行って口頭で
行ってきたんだよー!」と武勇伝を語るだけではなく、
蝦夷地で見て・聞いて・知ったことを細かくレポートにまとめ報告し
出版までしていたという真面目さ✨

ジャーナリストフリーライターのような人だったのですっ(`・ω・´)

その行動力や知識が認められ、
蝦夷地の第一人者と呼ばれるようになったそう!

そんな武四郎は、
13歳から津藩の学者・平松楽斎に入門して勉強していました📖
ところが、武四郎は平松楽斎の家宝を勝手に売ってしまい
その結果16歳の時に一通の手紙を残して家出することに…💦

この家出をきっかけに全国を旅するようになり
21歳のときからは長崎で僧侶になりました💡

長崎といえば鎖国時代に唯一開かれていた出島があるということで、
そので武四郎は幕末の諸外国の様子を知ります!
アジアでの西洋諸国の動きが活発化し、
ロシアも蝦夷地周辺で活発な活動をしている…。

そんな状況に危機感を抱いた武四郎は、
自らの目で蝦夷地の状況を確かめたいとの思いに駆られ
独力で調査におもむきました⛵☀

武四郎は独力で調査を行い、膨大な記録をまとめ
それをもとに幕府や藩への情報提供や出版を行い

蝦夷地の第一人者となりました✨





明治維新後、武四郎は明治政府から招かれ
蝦夷地政策を担当することとなり、
のちに北海道の名付け親となるのです!!!

◆「北加伊道」の誕生!

蝦夷地に代わる名称の提案は複数あったそうですが、
その中から選ばれたのは武四郎の考えた
「北加伊道」✨

その後、最終決定時には「北海道」となるのですが
最初は”海”の部分が “加伊”だったのです!

この「加伊」
アイヌの人々が自らのことを指す詞である
という説を武四郎はとなえているそう💡

武四郎のアイヌへの思いが込められているんです(o^ ^o)




蝦夷地の踏査は、アイヌをはじめとする
現地の方々の協力がなければできませんでした。
道案内はもちろんのこと、
食事の確保などその協力は多岐にわたります。

その思い出の数々感謝の気持ちも込めて
「北加伊道」と名付けたんですね🎵



 

◆まとめ…✨


西郷隆盛や大久保利通などからも
一目置かれていた武四郎💡


何でも完璧に調べ上げなければ気が済まず
貪欲に生きたその証
ビッシリと書き込んだたくさんの資料が物語っています✨

みなさんも是非、間近でその情熱をご覧ください🔥🔥





お子さまが楽しく学べるコーナーもありますよ💕




 
幕末維新を生きた旅の巨人
「松浦武四郎」
ー見る、集める、伝えるー
11月11日(日)までの開催です🌼


三重県総合博物館
三重県津市一身田上津部田3060




レポートドライバー 🎀 清水藍
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