三重県鈴鹿市の偉人・大黒屋光太夫をご存知ですか?
大黒屋光太夫記念館にお邪魔してどんな人物なのか伺ってきました☆
三重県鈴鹿市の
大黒屋光太夫記念館にお邪魔しました!
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学芸員の代田さんにインタビュー♪
休館日にも関わらずありがとうございました!!
大黒屋光太夫は江戸時代の末頃活躍した方で
船で江戸まで荷物を運ぶ際中
嵐に遭いロシアに漂着してしまったのです。
元々、鈴鹿市白子の廻船問屋に雇われていた船頭で
江戸に荷物を運ぶ仕事をしていました。
しかし、その途中に嵐に遭いロシアのアムチトカ島というところに漂着します。
寒いときは-30度にもなる冷凍庫より寒い場所です。
7か月間漂流していたそうですが
その間なぜ生きていられたかというと
船自体が全長30mほどある大きな船で
お米を積んでいたからです。
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ただ、漂流をするとどうしても争いが生まれたりしますが
そこを持ち前のリーダーシップで先導したのが大黒屋光太夫でした。
食料や飲み水の配分をきちんと行い、なんとか島にたどり着きました。
そこから生き残るためにロシア語を学びます。
もちろん辞書も何もないので独学です。
ロシア語を覚えていき現地の人とコミュニケーションを取り
船を作てカムチャッカ半島を目指しました。
しかし当時はロシアと日本の間に交易がなく
日本に向かう船はありませんでした。
次に大黒屋光太夫はロシアの役所のあるイルクーツクに向かいました。
ですが、ここでも帰国の許可はもらえません。
鎖国状態の日本へ帰るには
ロシアから”国”として船を出す必要があったのです!!
そこで、大黒屋光太夫はラクスマンという学者に出会います。
ラクスマンの力もあり、当時の皇帝である
エカテリーナ2世に謁見し、ようやく帰国を許可されました。
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こうして日本に帰れるまで10年がかかったそうです。
距離にするとなんと4万キロの移動。
そうしてロシアから帰ってきた大黒屋光太夫は
江戸に家を与えられ、そこに住むようになりました。
少し前までは鎖国の為に軟禁状態だったのではないかと推測されていましたが
最近の研究ではロシア語を教えたり、話をしたりしていたそうです。
日本に初めてロシアの話題や文化を持ち帰った人物なのです。
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そんな大黒屋光太夫について知ることができるのが
大黒屋光太夫記念館なのです!!!
14日までは大黒屋光太夫の生涯を
お子さんでもわかりやすくまとめた企画
「知っておどろき!大黒屋光太夫」を開催中です♡
![](https://dqqyksukcoz0h.cloudfront.net/files/user/2018/05/201810092006_5-300x0.jpg?v=1539118939)
そして18日から12月24日までは
「第12回特別展 亀井高孝ー光太夫をみつけた歴史学者ー」と題して
大黒屋光太夫研究の第一人者・亀井高孝にフォーカスした特別展を開催!
亀井高孝さんのご遺族から多くの資料が寄贈されたそうで
新たなことが知れるかもしれません!!
大黒屋光太夫について知るのももちろん面白いですし
ここから歴史を読み解いていくと更に新たな発見もありそうです♪
鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫に是非注目してくださいね☆
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