小堀勝啓の新栄トークジャンボリー

堀内孝雄、盟友・谷村新司さんの思い出を語る

昨年10月8日に74歳で亡くなられた、シンガーソングライターの谷村新司さん。

アリスでともに活動していた堀内孝雄さんが、2月11日放送の『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』(CBCラジオ)でインタビューに答え、谷村さんとのエピソードにも触れました。
聞き手は、同世代の小堀勝啓です。

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2005年を振り返る

今回のインタビューは、1月8日に名古屋国際会議場センチュリーホールで開催された『青春のグラフィティコンサート2024』の楽屋で行われました。

堀内さんは、2005年に愛・地球博の長久手会場で行われた『青春のグラフィティコンサート』にも出演。この時は谷村新司さんとも共演しています。

堀内「あの時は眼帯してましたからよく覚えてるんですよ」


この時は動眼神経麻痺を患っていたそうです。これは瞼を上げる筋肉や眼球を動かす筋肉を司る動眼神経に麻痺が生じる症状。堀内さんの場合は片目を患い、物が2つに見えたそうです。

堀内「チンペイさん(谷村さん)が『それだったら悪い方の眼を蓋して、その上にまた目を描いちゃえばいいじゃないか』って言ってね(笑)」

チンペイさんの存在

堀内さんの動眼神経麻痺の原因はわからずじまい。
眼科の専門医に聞いたところでは、大概の人がかかる症状で、100%に近いぐらい治っていくとか。


愛・地球博でのステージでは谷村新司さんとふたりで、アリス時代の名曲「遠くで汽笛を聞きながら」を歌いました。

小堀「いいステージでしたね。そのチンペイさんが去年亡くなりました」

堀内「びっくりしました。いかに彼の存在が大事だったか。片肺をもがれたような感じです。空の上で、また会えると思います」

楽屋は病院の待合室

堀内「あんまり世間に言ってないんですが、こう見えても心臓が悪いんですよ」

コロナ禍の最中に心臓の疾患が発覚したという堀内さん。狭くなった血管を拡張するためのステントを2本入れているそうです。

ステージを数限りなくこなしているので、自身では「心臓だけは強いだろう」と思っていた堀内さんですが、現在は万全の状態といいます。

堀内「痛みとか弱さみたいなものが歳とともに出てきて、楽屋内は病気の話ばっかりですよ(笑)」

『青春のグラフィティコンサート』の楽屋は、いつの頃からか病院の待合室のようになってしまったんだとか。

あとは任せた

今回の『青春のグラフィティコンサート2024』の出演者は堀内さんが74歳、南こうせつさんが75歳、海援隊の武田鉄矢さんと中牟田俊男さん74歳、千葉和臣さんが72歳、太田裕美さん69歳で司会の小堀は73歳です。

堀内「若い頃とは違う気持ちで、譲り合いがいい感じになってきましたね」

客席にも団塊の世代が詰めかけたフォークのコンサートですが、唯一若い出演者が尾崎豊さんの長男・尾崎裕哉さん。最年少で34歳です。

堀内「尾崎君を横で聴いてたんですけど、お父さんそっくりですね。本人にも言ったんだけど、あとは任せたぞって感じで嬉しいですよ」

演歌・歌謡曲路線

小堀「ベーヤン(堀内さん)の歌の世界も、いい風にバランスの取れた大人になってますもんね」

堀内「いろんな人に言われましたよ。亡くなった谷村も楽屋に駆けつけて『最近無理してない?"恋唄綴り"ってなんだあれ?』って言われました(笑)」

堀内さんはアリス活動休止後、演歌・歌謡曲路線に傾倒していきました。
「恋唄綴り」は麻生詩織さんが提供された曲ですが、翌1990年に堀内さんがセルフカバーしました。


堀内「あれは自然に流れて行ったんですね。刑事ドラマの挿入歌で、ポップス合わないですよ。作詞家の荒木とよひささんが頑張ってくださった。あれがあるから今の自分があるなと思いますね」

団塊の世代は全部入り

小堀や堀内さんの世代では、物心がついた頃の歌謡界と言えば三橋美智也さん、春日八郎さん、橋幸夫さん、舟木一夫さんが中心。そして多感な10代にビートルズの洗礼を受けました。

小堀「僕らは最初からビートルズなわけじゃなくて、いろんなものが入っている」

堀内「全部入ってる。団塊は不思議な世代なんですよ」

小堀「日本人の気持ちよさがベーヤンの歌には入ってると思いますよ」

インタビューを「もう少し、もう少しと言いながら頑張って行ければいいなと思いますね」と締めくくる堀内さんでした。 
(尾関)
小堀勝啓の新栄トークジャンボリー
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2024年02月11日10時35分~抜粋

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