1月21日放送の「ドラ魂キング」では、金田正一さんのお別れ会の話題から、17日に亡くなられた高木守道さんを語る上で外せない、代表的な一打席に話が及びました。
それはドラゴンズがジャイアンツの10連覇を阻止し、見事リーグ優勝を果たした1974年。
優勝を決める前日の神宮球場で高木さんが放った、伝説の一本です。
CBC論説室の北辻利寿特別解説委員と高田寛之アナが熱く語り合います。
高木守道さんの伝説の一打席。中日リーグ優勝前日の同点タイムリー
ドラゴンズと金田正一さん
昨年10月に86歳で亡くなった金田正一さんのお別れの会が21日、帝国ホテルで行われました。
歴代最多の400勝を挙げて「史上最高の投手」と呼ばれた金田さん。
「高木さんがお亡くなりになった後だけに」「高木さん多分、お元気だったら参加してたはずですよね」と、しみじみする北辻委員と高田アナ。
金田さんは愛知県稲沢市生まれで、名古屋市の享栄高校出身。
記念すべき400勝目はなんとドラゴンズ戦、その時の負け投手は星野仙一さんでした。
国鉄スワローズ時代に金田さんが達成した、完全試合の相手もドラゴンズ。
高木さんがリーダーシップを発揮し、ドラゴンズが20年ぶりにリーグ優勝を果たした1974年。
その日本シリーズでドラゴンズの目の前に立ちはだかった、ロッテオリオンズの監督も金田さんだったのです。
歴代最多の400勝を挙げて「史上最高の投手」と呼ばれた金田さん。
「高木さんがお亡くなりになった後だけに」「高木さん多分、お元気だったら参加してたはずですよね」と、しみじみする北辻委員と高田アナ。
金田さんは愛知県稲沢市生まれで、名古屋市の享栄高校出身。
記念すべき400勝目はなんとドラゴンズ戦、その時の負け投手は星野仙一さんでした。
国鉄スワローズ時代に金田さんが達成した、完全試合の相手もドラゴンズ。
高木さんがリーダーシップを発揮し、ドラゴンズが20年ぶりにリーグ優勝を果たした1974年。
その日本シリーズでドラゴンズの目の前に立ちはだかった、ロッテオリオンズの監督も金田さんだったのです。
巨人の10連覇を止めた!
日本シリーズ第1戦。
高木さんは見事なさよならツーベースで試合を決めました。
続く第4戦で、高木さんは自打球を足に当ててしまい骨折。しかし、痛み止めの注射を打って打席に立ち続けたのです。
「ガッツのあったプレイヤーでしたね」と、北辻委員は高木さんを振り返ります。
惜しくもロッテに敗北を期したこの日本シリーズについて、高木さんに尋ねたことがあるという高田アナ。
高木さんは「今だから話せる」として、「そらね、巨人の10連覇止めたんだよ!そこでみんな満足するわな」と裏話を教えてくれたといいます。
北辻委員は当時中学3年生。
「ジャイアンツの10連覇を阻止したリーグ優勝で満足しきっていましたね。正直言って日本シリーズはおまけみたいな感じをファンも持ってたっていう。それほど嬉しい優勝だった」と懐かしく語ります。
「だってシーズン中、まだ試合残ってるのに、名古屋市内優勝パレードですよ(笑)」と話す高田アナに、「えー!シーズン中に?」と驚く石坂窓花。
高木さんは見事なさよならツーベースで試合を決めました。
続く第4戦で、高木さんは自打球を足に当ててしまい骨折。しかし、痛み止めの注射を打って打席に立ち続けたのです。
「ガッツのあったプレイヤーでしたね」と、北辻委員は高木さんを振り返ります。
惜しくもロッテに敗北を期したこの日本シリーズについて、高木さんに尋ねたことがあるという高田アナ。
高木さんは「今だから話せる」として、「そらね、巨人の10連覇止めたんだよ!そこでみんな満足するわな」と裏話を教えてくれたといいます。
北辻委員は当時中学3年生。
「ジャイアンツの10連覇を阻止したリーグ優勝で満足しきっていましたね。正直言って日本シリーズはおまけみたいな感じをファンも持ってたっていう。それほど嬉しい優勝だった」と懐かしく語ります。
「だってシーズン中、まだ試合残ってるのに、名古屋市内優勝パレードですよ(笑)」と話す高田アナに、「えー!シーズン中に?」と驚く石坂窓花。
高木守道さんの「この一打席」
ドラゴンズファンの間で「高木さんのこの一打席」といわれているのは、「リーグ優勝を決めた前日の神宮球場」と北辻委員。
それは、マジック3で臨んだ1974年10月11日のヤクルト戦。
9回表2アウト3塁、1点差で負けていたドラゴンズの打席に高木さんが入ります。
ここで高木さんは見事な同点タイムリー!
その後をリリーフの星野さんが抑え、マジックが2に減りました。
そして翌日のダブルヘッダーで見事優勝を果たしたのです。
「この1本は高木守道さんの、代表的な1本のひとつ」と興奮気味に語る北辻委員。
高田「当時チームにかかわってた人に話を聞くと、実は一番大事だったのが、あの神宮球場の引き分けだったんだと」
北辻「優勝を決めた試合よりも、その前の試合だった」
高田「あれもし負けてたら、わからんぞと」
北辻「ジャイアンツがね、ひたひたと追っかけて来てたんで」
それは、マジック3で臨んだ1974年10月11日のヤクルト戦。
9回表2アウト3塁、1点差で負けていたドラゴンズの打席に高木さんが入ります。
ここで高木さんは見事な同点タイムリー!
その後をリリーフの星野さんが抑え、マジックが2に減りました。
そして翌日のダブルヘッダーで見事優勝を果たしたのです。
「この1本は高木守道さんの、代表的な1本のひとつ」と興奮気味に語る北辻委員。
高田「当時チームにかかわってた人に話を聞くと、実は一番大事だったのが、あの神宮球場の引き分けだったんだと」
北辻「優勝を決めた試合よりも、その前の試合だった」
高田「あれもし負けてたら、わからんぞと」
北辻「ジャイアンツがね、ひたひたと追っかけて来てたんで」
一番大好きな選手。背番号1番!
実際、高木さんの勝負強さを語る時に、「神宮のあの同点タイムリー」を挙げる人は本当に多いといいます。
北辻「ここっていう時に打ってくれた選手でしたね」
昨年、1点差負けのゲームが27ゲームもあったドラゴンズ。
北辻委員は、「高木守道さんがいたら、現役だったらば、去年も優勝してましたよ。それだけ勝負強いバッター。試合の中で流れを読んで、ちゃんと結果を出してくれる名プレイヤーでしたよね」と振り返ります。
大のドラゴンズファンとして知られる北辻委員ですが、「その中でも、一番は高木守道さんでしたね。一番大好きな選手は高木守道さん。背番号1番!」と宣言しました。
(minto)
北辻「ここっていう時に打ってくれた選手でしたね」
昨年、1点差負けのゲームが27ゲームもあったドラゴンズ。
北辻委員は、「高木守道さんがいたら、現役だったらば、去年も優勝してましたよ。それだけ勝負強いバッター。試合の中で流れを読んで、ちゃんと結果を出してくれる名プレイヤーでしたよね」と振り返ります。
大のドラゴンズファンとして知られる北辻委員ですが、「その中でも、一番は高木守道さんでしたね。一番大好きな選手は高木守道さん。背番号1番!」と宣言しました。
(minto)
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