ドラ魂キング

中日・浅尾拓也二軍投手コーチ、引退後の1年と現役時代を語る

1月15日放送の『ドラ魂キング』に、中日ドラゴンズの浅尾拓也二軍投手コーチが出演しました。

この番組には1年ぶりの登場となる浅尾さんに、リスナーから質問が殺到!

「現役時代の懐かしい話」や「コーチ業で大変だったこと」といった質問について、丁寧に答えてくれました。

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コーチとしての1年

浅尾さんが前回登場したのは、昨年の引退会見後のオフの時期。

「1年経っていかがですか?」と尋ねる宮部和裕アナに、「色んなことがあって、色んな感情がありましたね」と話す浅尾さん。

「悔しかったことだったり、嬉しかったことだったり。色んなことがあっていい勉強になったなっていう感じですね」と充実した1年であったことを振り返りました。

1年前のスタジオで、「コーチになるにあたって、教えすぎない教え方をしたい」と話していた浅尾さんでしたが、実際この1年は「言わない子には、全く言わなかった。悩んでる子に対しては言っちゃうところもありましたね」。

「自分で模索して苦しんでいる姿とか見てて、『こうやったらいいんじゃないのか』っていうのをいくつか与えて。一番自分がしっくりくるものを取り入れていけばいいんじゃないかっていう。自分の考えがその子に当てはまるとは限らないので」と、さまざまな選択肢の中から自分で考えさせる方法を取ったと明かしてくれました。

一番大変だったこと

宮部アナがリスナーからの質問を、どんどん浅尾さんにぶつけていきます。

「コーチ業で一番大変だったことはなんですか?」(Aさん)

この質問に「遠征がなかったので、あんまり」と浅尾さん。
3人の二軍投手コーチの中で、浅尾さんはほぼ名古屋担当でした。

「練習内容が毎日同じことの繰り返しにならないように考えてはいたんですけど、レパートリーがちょっと少なかったのかなとは思いますね。毎日同じことを繰り返していると飽きるので、なあなあにならないようには考えてはいたんですけど」

「引退後、トレーニングはしてますか?」(Bさん)

「ちょいちょいはしてますね。ウエイトトレーニングも始めるように。最近ちょっとサボり気味なんですけど。なまってるなと思ったら夜、走りに行ったりとか。深夜ですね」

背番号こそ現役時代の41番から81番に変わったものの、「グランドでのユニフォーム姿はお変わりないように見えますけど」と宮部アナ。

昨年10月、虫垂炎の手術のために入院を余儀なくされた際は、痩せてしまったという浅尾さんですが、「だんだん戻ってきましたね」と明るい声で話します。
 

「腹筋が弱い」に激怒

このほか、
「浅尾投手のような、完璧な未来のセットアッパーは誰がいいと思いますか?」
「見込みのある選手は?」
「ブレイクするだろうピッチャーを教えてください」

といった現役の中日投手についての質問も多く寄せられましたが、「やってみないとわかんないっていうのもあるので、チャンスをもらって一発でモノにする子が強いので。難しいですね、個人名では」と、具体的に名前をあげることは避けた浅尾さん。

このあと長く時間を割いて、ドラゴンズの投手全員について一人一人コメントをしてくれました。

浅尾さん自身への質問に戻ります。

「新人時代の今頃、入寮の時の思い出は何かありますか?」(Cさん)

「とりあえず練習がキツかったっていうイメージ。周りに気を使ったのかなって思います」と浅尾さん。

当時、ある新聞に「腹筋が弱い」と書かれて怒り心頭だったというエピソードも飛び出します。

「からあげクン」が好き

「現役時代の自主トレで印象に残っている物はありますか?」(Dさん)

10年間は立浪和義さんとグアムで自主トレを行っていたという浅尾さん。

「練習をしっかりやったあとにゴルフってのがあって。めちゃくちゃキツかったですね」

練習のあとにゴルフ、時にはゴルフをしてから練習という日もあったといいます。

「立浪さんの体力すごいなと思って。動き続けることっていうのが、遊んでいるように見えるかもしれないですけど、結構キツかったですね」

立浪さんの無尽蔵な体力に驚かされたという浅尾さん。

宮部「浅尾さんにとってはゴルフ、修行の時期もあったと」
浅尾さん「走り回るので(笑)それもランニングみたいなものでした」

「浅尾コーチが好きなコンビニのホットスナックはなんですか?」(Eさん)

「アメリカンドッグも好きですし、ローソンのからあげクンも結構好きです」

この後にもまだまだ続くたっぷりの質問に、丁寧に答えてくれた浅尾さんでした。
(minto)
ドラ魂キング
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2020年01月15日17時53分~抜粋

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