CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)。日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。
12月13日の放送では、徳川家康・前田慶次・陣笠隊の足軽・なつの3名が出演し、「矢文(やぶみ)祭り」を実施しました。
ちなみに番組における「矢文」とは、リスナーからのメッセージのことです。
(写真はイメージです/写真AC)
伊賀越えは苦い思い出
「初矢文です。走るのが大好きで、来年3月28日に開催される『第1回 神君伊賀越えの道160kmジャーニーラン』に出場します。大阪・堺から鈴鹿・白子海岸まで制限時間32時間を初めて走るため、参考までに家康様の思い出話を教えて下さい」(Aさん)
以前この番組でも取り上げたことのある「神君伊賀越え」。
天正10年(1582年)6月2日早朝、織田信長が本能寺の変で斃れたことによって窮地に陥った徳川家康が、外遊先の大坂・堺から三河まで逃げ戻った逃避行のこと。その経路が「伊賀越え」の道でした。
徳川家康「儂にとっては苦い思い出があるぞ。本能寺の変で織田信長殿が討たれた後、明智光秀が次に命を狙うのは儂じゃった。命からがらの逃避行を思い出すわ」
前田慶次「その家康様の話を聴いて、このAさんは走るのを頑張れないのではないかと思うのですが、大丈夫でござりますか?」
確かに過酷だったことは事実ですが、ありのままの内容に現世の人間が走ることに怖気づいてしまうのでは?と不安視した慶次です。
以前この番組でも取り上げたことのある「神君伊賀越え」。
天正10年(1582年)6月2日早朝、織田信長が本能寺の変で斃れたことによって窮地に陥った徳川家康が、外遊先の大坂・堺から三河まで逃げ戻った逃避行のこと。その経路が「伊賀越え」の道でした。
徳川家康「儂にとっては苦い思い出があるぞ。本能寺の変で織田信長殿が討たれた後、明智光秀が次に命を狙うのは儂じゃった。命からがらの逃避行を思い出すわ」
前田慶次「その家康様の話を聴いて、このAさんは走るのを頑張れないのではないかと思うのですが、大丈夫でござりますか?」
確かに過酷だったことは事実ですが、ありのままの内容に現世の人間が走ることに怖気づいてしまうのでは?と不安視した慶次です。
伊賀越えは体力とけがにご用心
Aさんに対してのアドバイスというより、過酷すぎる現実を伝えた家康ですがフォローするように言い直します。
家康「この者(Aさん)はな、武士が生きた証を、今の世を作った礎に思いを馳せながら走ってくれるという。なかなか良きことではないか」
慶次「32時間ということは、1日を超えて走るということじゃから、楽し気な話が良いのでは、と儂は思ったんじゃが」
なつ「私も慶次様と同じく、走るのが楽しくなるような話の方がいいのではござりませぬか?と思いまする」
気を取り直して、家康も大変な行程であることは間違いないため、「とにかく体調とケガに気をつけて最後まで完走できるようペース配分を考えた走行をしてほしい」とエールを贈りました。
家康「この者(Aさん)はな、武士が生きた証を、今の世を作った礎に思いを馳せながら走ってくれるという。なかなか良きことではないか」
慶次「32時間ということは、1日を超えて走るということじゃから、楽し気な話が良いのでは、と儂は思ったんじゃが」
なつ「私も慶次様と同じく、走るのが楽しくなるような話の方がいいのではござりませぬか?と思いまする」
気を取り直して、家康も大変な行程であることは間違いないため、「とにかく体調とケガに気をつけて最後まで完走できるようペース配分を考えた走行をしてほしい」とエールを贈りました。
寒さに弱い家康vs甘えと一喝する慶次
続いての矢文です。
「この頃は寒くなり、暖房をつけるのですが椅子でうたた寝してしまいます。布団に入るのが遅くなり、朝は温かい布団からなかなか出られなくなる悪循環。こんな私に身が引き締まる喝を入れてください」(Bさん)
慶次「甘えるな甘えるな!」
なつが驚いて言葉が出なくなるほどの喝。
しかし慶次にとって、現世の者が甘いと思う理由があるようです。
慶次「現世の者たちはな、文明の利器がたくさんあって温かい思いをしておるが甘い!家康様も喝を入れてやってくださりませ」
家康「Bさんよ、おぬしの気持ちよくわかるぞ」
寄り添う言葉を放ったために、逆に慶次が「悪役のような扱い」と横でぼやく羽目に。
家康が優しかった理由は、自分も寒さに弱かったからだそうで、当時特注の座椅子を作らせ、その背面に温かくなるようなものを入れて自作の暖房機器を作っていたからです。
そのため、「寒さに弱い」という矢文に共感したようです。
慶次「家康様、儂が東北に赴いた折には、こんな甘えた者は誰もおりませんでしたでござる」
「あくまでも気合で何とかできる」と言いたい慶次と、「寒さに弱いのは仕方がない」と言う家康の間ですれ違いが発生しました。
(葉月智世)
「この頃は寒くなり、暖房をつけるのですが椅子でうたた寝してしまいます。布団に入るのが遅くなり、朝は温かい布団からなかなか出られなくなる悪循環。こんな私に身が引き締まる喝を入れてください」(Bさん)
慶次「甘えるな甘えるな!」
なつが驚いて言葉が出なくなるほどの喝。
しかし慶次にとって、現世の者が甘いと思う理由があるようです。
慶次「現世の者たちはな、文明の利器がたくさんあって温かい思いをしておるが甘い!家康様も喝を入れてやってくださりませ」
家康「Bさんよ、おぬしの気持ちよくわかるぞ」
寄り添う言葉を放ったために、逆に慶次が「悪役のような扱い」と横でぼやく羽目に。
家康が優しかった理由は、自分も寒さに弱かったからだそうで、当時特注の座椅子を作らせ、その背面に温かくなるようなものを入れて自作の暖房機器を作っていたからです。
そのため、「寒さに弱い」という矢文に共感したようです。
慶次「家康様、儂が東北に赴いた折には、こんな甘えた者は誰もおりませんでしたでござる」
「あくまでも気合で何とかできる」と言いたい慶次と、「寒さに弱いのは仕方がない」と言う家康の間ですれ違いが発生しました。
(葉月智世)
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