卒業式シーズンと言えば「制服の第2ボタン」を連想する世代も多いでしょう。
3月18日の『CBCラジオ #プラス!』では、第2ボタンが話題になりました。
光山雄一朗アナウンサーと山本衿奈は第2ボタンをあげたことももらったこともありませんが、そもそもなぜこの文化が生まれたのでしょうか?
山本が第2ボタンの今昔を紹介しました。
第2ボタンの受け渡しの経験がある人は何割?
山本は好きな人の第2ボタンをもらう行為について、「自分より上の世代の文化やドラマの世界、もはや都市伝説みたいなもの」と思っていたほど縁がなかったそう。
ところが以前、山本がFC岐阜の20代前半と後半の選手に話を伺ったところ「全部のボタンがなくなった」と聞きました。
さらにこの日の女性ディレクターからは、中学の時に第2ボタンをもらい、高校生になってその人と付き合ったとの情報も。
山本「そんなことありましたか?光山さん」
光山「…あるわけないじゃん!」
一方光山はあげたい気持ちはあっただけならまだしも、卒業式前日の夜にはボタンを欲しがる女性にボタンを渡すシチュエーションも妄想していたそう。
残念ながら妄想のまま終わりました。
山本が見たアンケート調査では、3割強の人が「第2ボタンをあげたか、もらった経験がある」と答えたそうです。
ところが以前、山本がFC岐阜の20代前半と後半の選手に話を伺ったところ「全部のボタンがなくなった」と聞きました。
さらにこの日の女性ディレクターからは、中学の時に第2ボタンをもらい、高校生になってその人と付き合ったとの情報も。
山本「そんなことありましたか?光山さん」
光山「…あるわけないじゃん!」
一方光山はあげたい気持ちはあっただけならまだしも、卒業式前日の夜にはボタンを欲しがる女性にボタンを渡すシチュエーションも妄想していたそう。
残念ながら妄想のまま終わりました。
山本が見たアンケート調査では、3割強の人が「第2ボタンをあげたか、もらった経験がある」と答えたそうです。
第2ボタン文化ができたきっかけは
ではなぜ、卒業式に制服の第2ボタンをあげる習慣がついたのでしょうか?
光山「ドラマとかの影響なんじゃないですか?」
諸説あるそうですが、山本が調べたところによると、きっかけは第二次世界大戦末期だったそう。
物資が不足し、軍服ではなく学ランで戦地に赴く人が想いを寄せていた人に「自分の分身として大切にしてほしい」と第2ボタンを渡していたとのこと。
第2ボタンになったのは、一番上のボタンに比べなくなっても目立たないからだそうです。
そんな名残から、好きな人にあげる文化ができたと言われています。
光山「ドラマとかの影響なんじゃないですか?」
諸説あるそうですが、山本が調べたところによると、きっかけは第二次世界大戦末期だったそう。
物資が不足し、軍服ではなく学ランで戦地に赴く人が想いを寄せていた人に「自分の分身として大切にしてほしい」と第2ボタンを渡していたとのこと。
第2ボタンになったのは、一番上のボタンに比べなくなっても目立たないからだそうです。
そんな名残から、好きな人にあげる文化ができたと言われています。
今は第2ボタンじゃないものを贈る!?
17年前、山本が中学生の時は、第2ボタンをあげたりもらったりする人は周りにいませんでしたが、その代わりに名札を好きな人にあげる人はいたそうです。
山本「もしかしたらボタン以外のものをあげたとかもらったとか、違う形でという方もいるかもしれないなと思いまして」
山本が調べたところによると、ここ数年は第2ボタンよりも花束を贈る人が多いんだとか。
光山「それは女子から男子に?」
山本「男子から女子にもあるみたいで」
というのも、最近はもらったものをSNSにアップするため、写真映えするものが人気なのではといわれています。
山本「時代の変化とともにあげるものが変わっていますが、物に想いを乗せて大切に渡すっていうのは今も昔も同じなんですね」
(ランチョンマット先輩)
山本「もしかしたらボタン以外のものをあげたとかもらったとか、違う形でという方もいるかもしれないなと思いまして」
山本が調べたところによると、ここ数年は第2ボタンよりも花束を贈る人が多いんだとか。
光山「それは女子から男子に?」
山本「男子から女子にもあるみたいで」
というのも、最近はもらったものをSNSにアップするため、写真映えするものが人気なのではといわれています。
山本「時代の変化とともにあげるものが変わっていますが、物に想いを乗せて大切に渡すっていうのは今も昔も同じなんですね」
(ランチョンマット先輩)
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