若狭敬一のスポ音

若狭敬一アナウンサーが持論を展開。猛練習で中日ドラゴンズは強くなるのか?

1日現在、リーグ最下位の中日ドラゴンズ。
9月28日放送の『若狭敬一のスポ音』(CBCラジオ)では、若狭敬一アナウンサーが中日ドラゴンズが今後強くなるための持論を展開しました。
果たして弱いチームに猛練習は必要なのか?過去のオフを振り返ります。

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猛練習で強くなった

2013年から12シーズン連続でクライマックスシリーズ進出を逃している中日。
毎年、必ずオフに「今の中日は練習不足。今こそ黄金期を築いた落合ノックが必要だ」という声があがります。

2003年10月、落合博満さんが中日の監督に就任。新体制になり秋のキャンプから猛練習が始まりました。

「落合ノック」で井端弘和さん、荒木雅博さんのアライバコンビが全国区になり、森野将彦さんがレギュラーを掴みました。

落合政権8年間の成績はオールAクラス、リーグ優勝4回、日本一1回でした。

ノックを受ける選手が重要?

当時、取材でノックを目の前で見ていたという若狭は、「猛練習をすれば必ずチームは強くなる」と考えていたそうです。

若狭「しかしつい最近、今の発言半分は当たっているけど、半分は当たっていないような気がしてきたんですよね。その猛練習をどんな選手が受けるか?こっちが大事なんじゃないかと思うようになりました」

「落合ノック」を受けたのが井端さん、荒木さん、森野さんだったからこそ、あのノックは伝説となったのではないか?と思う出来事が最近あったそうです。

9月8日、侍ジャパン監督の井端さんの講演会のインタビュアーを若狭が務めました。そこで井端さんから出た「落合ノック」の話で、ノックを受ける選手の大切さを悟ったとか。

中日と日本代表

2003年11月、井端さんは日本代表として、翌年のアテネオリンピック出場を賭けたアジア予選を戦っていました。

日本は札幌ドームで中国、台湾、韓国と対戦し3戦全勝でオリンピック出場を決めました。井端さんは台湾戦と韓国戦でスタメンです。

2003年、28歳の井端さんはプロ入り6年目で。中日では不動のショートでした。セカンドには荒木さんがいました。
前政権の山田久志監督時代の2002、2003年にアライバコンビは形成されていました。

2003年を含めて3年連続で規定打席に到達した井端さん。
打率は2001年が2割6分2厘、2002年が2割9分、2003年が2割6分7厘。ショートとしては十分な成績で日本代表に選出されました。

若狭「侍ジャパンのスタメン。2番ショートと思うじゃないですか?違うんですよ。なんと2試合とも7番指名打者だったんです」

アジア予選での収穫

晴れて日本代表というトップチームに入りましたが、井端さんが強く感じたことは「ショートで出られない悔しさ」だったそうです。

当時の日本代表のショートは後にメジャーへ行った埼玉西武ライオンズの松井稼頭央さん。
セカンドには、セ・リーグで一番ショートの上手い東京ヤクルトスワローズの宮本慎也さんをわざわざセカンドに回していました。

とにかく松井さんと宮本さんを守備で抜かないことには、侍ジャパンのユニフォームを着てショートで出ることは一生ないと思ったんだとか。

「この思いをしたことが、アジア予選での一番の収穫です。名古屋では認められていましたが上には上がいる、こんなんじゃダメだと思いました」と井端さんがコメント。

2003年オフはとことん守備を鍛えようと、アジア予選終了後は名古屋に帰らず、すぐに沖縄のキャンプに合流したそうです。
そこに待ち受けていたのが、あの「落合ノック」でした。

自分自身に誓う

「守備を鍛えるんだと自分自身に誓っていたので、あの落合ノックは自分から受けに行ったようなもの。自分が上手くなるための練習ですからやめようとかしんどいとかは思いませんでした」と語る井端さん。

続けて「落合監督にとって僕はいい餌食でしたね。でも不思議なことに、あの落合ノックは守備だけじゃなくバッティングも良くなるんですよ」と笑ったそうです。

2011年、落合監督自身がCBCテレビの優勝特番で「落合ノック」について語ったところによると、最初はアライバのふたりに可能性を特に感じることはなかったそうです。単にコーチ推薦でノックをしてみたとか。

「やってみたら食いついてきた。他のやつらは嫌々やる。嫌々やるやつに何も俺がノックをやる必要ないだろう。でも、上手くなりたい奴にはいくらでも手を貸してやる」というのが当時の落合さんの弁。

あの時「落合ノック」を受けた井端さんは侍ジャパンクラスの選手でした。

若狭「3年連続で規定打席に到達し、日本代表に選ばれ、さらに上を目指して自ら猛練習を望んでやる選手が、今のドラゴンズに果たしているだろうか?」

甘えを削ぎ落とす

一方、荒木雅博さんは「僕はこのBクラスの97年と2001年、弱いチームで出場機会を与えられただけなのに、自分で掴んだと勘違いしてプロ野球をなめてました」とのこと。

2002年、2割5分9厘。2003年、2割3分7厘。盗塁はいずれの年も16個。後に盗塁王になる選手からすると物足りない成績。

印象の薄いセカンドだった荒木さんは「落合ノック」に志願しました。

「あれがなければ今の僕はありません」と荒木さん。

それまで中日の特守はおよそ30分。しかし「落合ノック」は30分経っても1時間を過ぎても終わらず。すると汗が出なくなって思考も停止するんだとか。

荒木さんは「確かに技術も体力もアップしましたが、一番大きかったのは甘えを削ぎ落としたことです。落合ノックは禊だったんです」と振り返ります。

中日に猛練習が必要な時

森野将彦さんは2005年の秋に「落合ノック」を受けて失神しました。今でいう脱水症状のような状態。

森野さんは「あのノックで一皮剥けた。これだけやって来年も一緒じゃイヤだ。絶対立浪さんからレギュラーを取るんだと思えた。もう引き返せないという思いになったのは初めてでした」と回想。

「落合ノック」でレベルアップした井端さん、荒木さん、森野さん。3人とも一定以上の成績を残し、かつ自分から求めていきました。

現在の中日は、猛練習で強くなるのでしょうか?

若狭「今は黄金期到来の夜明け前ぐらいです。だから今の選手たちが来年、再来年ともう一伸びした上で、猛練習を課すことが効果的なのではないかと思っています」

先過ぎてファンは我慢できない?若狭は割と長い目で見ているようです。 
(尾関)
 
若狭敬一のスポ音
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2024年09月28日12時31分~抜粋

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