北野誠のズバリ

意外と知らない「きしめん」の歴史!いつから名古屋名物になった?

これからどんどん寒くなっていく季節になりましたが、こんな時期にピッタリの名古屋めしのひとつが「きしめん」。

名古屋めしとして広く認識されていますが、意外にもその歴史はあまりハッキリとしていないそうです。

12月2日放送『北野誠のズバリ』「松岡亜矢子の地元に聞いちゃうぞ」では、そんなきしめんの歴史を調べた方々にスポットを当て、きしめんの知られざる歴史を紹介しました。

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きしめんはいつからあった?

松岡が話を伺ったのは、名古屋市にある鶴舞中央図書館の職員さんで構成された「名古屋なんでも調査団」の高木聖史さん。

まず調査するのにあたり、「きしめんという存在はいつから認識されていたのか?」というところから調査したところ、明確な資料はなかったそうです。

そこで、誰かの日記や随筆を頼りにするしかなく、時間をさかのぼって名古屋の食文化を調べたところ、約180年前のある書き込みにたどり着いたそうです。

高木さん「江戸時代後期の1843年(天保14年)に、犬山(愛知県)できしめんが売られていた、ということが資料で確認できました。江戸で"ひもかわ"と読んでいる平打ち麺を名古屋では"きしめん"と呼んでいると書かれた資料がありました」

『犬山市大島家文書』において、犬山城下で売られていたきしめんを16文から14文に値下げする、というお触れ書きがあったことが記され、そこにきしめんの存在が確認できたわけです。

いつから名古屋の名物に?

では、そのきしめんが名古屋名物になったのは、いつからなのでしょう。

実は「きしめんは○○地方の名物です」と明確に記された資料はないそうです。
今みたいに旅行ガイドブックや雑誌の広告などがあれば、書かれていたのでしょうが…。

そんな中、名古屋なんでも調査団がある資料を発見しました。

高木さん「間違いなく名古屋名物の1つであることが確認できたのが、1888年(明治21年)の資料です。
当時名古屋を代表する名物は尾張大根だったんですけど、尾張大根などが描かれた絵の中に『一八、うどん、きしめん』と書かれた看板が描かれていたので、名物として当時認識されていた、というのが確認できました」

『愛知縣下商便覧』の中に、大根や結ひもなどと一緒に描かれていたそうです。

この「一八」とは店の名前である説と、基本的にうどん1杯の値段が8厘なので通称「一八」と呼ばれていたという説の両方があるそうです。

名古屋駅のホームに乱立

ここまでで、きしめんは少なくとも江戸時代後期には存在し、明治時代には名古屋名物になっていたことはわかったのですが、名古屋なんでも調査団はさらに別の調査も進めました。

それは、「名古屋駅のホームは、いつからきしめんの店だらけになったのか?」ということ。

実は元々、この調査の発端になったのは、関西在住で旅好きの鉄道マニアの方から寄せられた「名古屋駅はいつからきしめんの店だらけになったのか?」という疑問によるもの。

他の地域では、駅のホームに立ち食いスタンドは1つか2つ程度ですが、ここまで地元名物の店がホームに立ち並ぶのも珍しいようです。

高木さん「名古屋駅の駅舎の中のお店ということであれば、3代目の駅舎が1937年(昭和12年)に完成しているんですが、その地下に商店街があり、その中に名古屋きしめんを売る『やぶそば』というお店が出店していまして、そこがおそらく名古屋駅で売られた初めて(のお店)だろうと考えてます」

その後、このお店が繁盛して地下街から地上に行き、そしてホームにも広がっていたようです。

新幹線のホームに進出したのは1983年(昭和58年)と意外と新しく、それで全国的に「名古屋名物」という認知度が広がったとも言われています。

名古屋に旅行する機会がなかなかないという方も、もし出張などで名古屋駅を通る場合は、一度途中下車してホームで食べてみるというのはいかがでしょうか。
(岡本)
北野誠のズバリ
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2019年12月02日14時44分~抜粋

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