マギー審司は、お寿司屋さんのお客さんが育てました

神谷明 TALK!×3 / エンタメ

5月11日放送の『神谷明 TALK×3』では、手品師のマギー審司さんがゲスト出演しました。

定番のネタができたきっかけ、手品が上手くなりたいと思ったきっかけ、手品を面白く見せようと思ったきっかけなど、いろんなきっかけを語っていただきました。

ガッカリされないように

「あっ、ビックリして耳が、でっかくなっちゃった!」

いきなり“大きくなる耳”のネタを披露し、ツカミはOKのマギーさん。
こういう小道具は常に持ち歩いているそうです。

マギーさん「やっぱり、一般の人から『何かやって』って言われた時に、例えばダンディ坂野さんなら『ゲッツ!』って簡単にできるんですけど、僕は物を持ってないとできないんで」

「ごめんなさい、今日は(ネタが)ないんです」と返すと、「えぇぇ…?」とガッカリされてしまう。
それを避けるためだということです。

マギーさんと言えば他に、ミカンを空中に浮かせるという手品があります。
これは、正面からだと手を触れずにミカンが浮いているように見えて、横から見ると実は親指がミカンに刺さっているというもの。

このネタが生まれたきっかけを教えてくれました。
 

あのネタの誕生秘話

元々は「ゾンビボール」というマジックがありまして。布をかぶせた金属製のボールを、手を触れずに自在に浮かせるという、かなりメジャーなマジックです。

マギーさん「実はあれの原理なんです。あっ、でもそう言ったら(ゾンビボールの)タネがバレちゃうのかな」

まあ、詳しいことはマジシャン界のために秘密にしていただきましょう。単純にタネが同じということでもなさそうですし。

マギーさん「そういうマジックのイメージで、お笑いライブの楽屋にミカンが置いてあったんで、何となく指を刺してやってみたんです。すると、そこにいた他の芸人たちがものすごく驚いたんです」

ただ指を刺しただけだから、別に不思議なことだとは思っていなかったマギーさん。
芸人たちの意外なリアクションを受け、試しにその日のライブでやってみたところ、観客もみな驚いたのでした。

マギーさん「『これ、指を刺せばできるんです~』って言ったら、笑いに変わったんで、いいネタなんだと思って」

それ以来、ミカンだけじゃなくゆで玉子などいろんな物を“浮かせた”んだそう。一番重い物ではボウリングの球を浮かせたんだとか。かなりキツかったようですが。
 

懐かしのゲーム&ウオッチ

さて次は、マギーさんのこどもの頃のお話です。

宮城県気仙沼市で生まれ育ったマギーさん。実家は「三浦電気」という電器店で、お客さんに喜んでもらうことが好きだった父親は、息子にもいろんなサプライズを仕掛けていたそうです。

それはマギーさんが7歳か8歳の誕生日の時でした。
普通にプレゼントの箱をもらったマギーさんが、開けてみると中には紙に包まれた物が。
それを開けてみると、さらにまた紙に包まれた物が。
開けたらまた紙に包んであって…。

つまり、歳の数だけ包んであって、プレゼントが出てくるという仕組みなのでした。

そして、マギーさんが今でも一番印象に残っているプレゼントは、1980年に任天堂から発売され、大ヒットとなった携帯型液晶ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」。

マギー少年は誕生日プレゼントにゲーム&ウオッチをねだりますが、父親は「うーん、でもなあ。ゲームか…」とつれない返事。

誕生日当日にくれたのは大きい箱で、ゲーム&ウオッチじゃないけどきっとすごいオモチャだなと、こども心にワクワクするマギー少年でしたが…。

マギーさん「開けたら、店でお客さんに配ってるポケットティッシュが、ビッチリ詰まってたんです。そりゃガッカリしました!どういうつもりなんだと。で、スネたんですよね」

そこで父親が「お前、ちゃんと見たのか?」と言うので、訝しげにポケットティッシュを掘り探ってみたら、何と!中からゲーム&ウオッチが出てきたのです。
 

最初からハードル上げたら持ちません

マギーさん「一回ちょっと期待させてから、ガッカリさせて、最後に喜ばせるというのは、マギー一門のマジックに似てるんですよ」

マギー審司さんの師匠は、マギー司郎さん。

「どんな手品を見せてくれるんだろう?」に始まり、
「なあんだ、しょーもない」を経てからの、
「おおっ、やるじゃん!」でシメる。

この、司郎さん独特の見せ方と、審司パパの教育環境が見事にリンクしているというのです。
人を喜ばせるには、一度ハードルを下げておいてから、上げると。
マギーさんはこどもの頃からすでに、“マギー流”に順応していたのでした。

マギーさん「『ウチの師匠は、くだらないことをやってから、最後はすごいことをやる』とずっと思ってたんですよ。でも本当は、普段がくだらな過ぎるから、すごく見えるだけ。実は最後のネタって普通なんですよ(笑)」

こう自虐的に言うマギーさんですが、それもまた技量のうち。すごく見せることが、すごいのですから。
うまく緩急を使って、遅い球でも150キロの快速球に見せられる、プロ野球の投手みたいなものですね。
 

海外で人生修行

マギーさんのライフスタイルがガラッと変わったのは高校卒業後。何と、アメリカへ飛び立ったのでした。

事の発端は、気仙沼にある「あさひ鮨(ずし)」というお寿司屋さん。ここの社長とマギーさんの父親は深い親交がありました。
実家の電器店を継ぐつもりだったマギーさんに、「家業を継ぐ前に一度、日本を外から見てみてはどうか?」と話を持ちかけたのが、あさひ鮨の社長なのです。

あさひ鮨の姉妹店がサンフランシスコにあるから、そこでバイトしながら2年ほど海外体験をする、という運びとなりました。

日本の寿司屋さんで修行する場合、“シャリ切り3年”といって、飯に酢を合わせるだけでも3年かかると言われています。
が、そこは海外。日本人が握っていればちゃんとしてるように見えるらしく、2、3ヵ月経つとマギーさんはカウンターで寿司を握るようになるのでした。
 

初めての常連客

ところが、英語がしゃべれず、客とコミュニケーションが取れないマギーさん。
何とかしようと思い付いたのが、小学5、6年のほんの一時期だけハマった手品です。

その頃を思い出しながらカウンターで手品を披露しているうちに、興味を持った客が徐々に集まるようになったんだとか。マジックは万国共通ですね。

そのうち、両親と娘2人の4人家族のお客さんが、マギーさんの前に必ず座るようになりました。
そう、初めての“常連”です。
この娘たちが手品を見てはとにかく喜びまくるので、マギーさんは「この子たちを喜ばせるために、ちゃんと手品を勉強しよう」と強く思ったんだそう。

そして、現地のプロのマジシャンから、本格的な手品を習うようになったのでした。

手品師・マギー審司の原点となる出会いと言えましょう。
 

上手けりゃいいってもんじゃない

1年4ヵ月後に帰国したマギーさんは、まだ電器店を継ぐ気満々でした。
ところがまた、人生の転機が訪れます。

ある日、テレビのお昼の生放送でやっていた「素人マジックのコーナー」に、周囲の勧めで出ることにしたマギーさん。しかし朝に行われたオーディションに落ちてしまいます。

仕方なく昼は視聴者としてオンエアをみていたところ、マギーさんは気付きました。

「あれ?今出てるこの人より、自分の方が手品が上手いのになあ。…あっ!テレビというのは、技術じゃなくて、人と違う見せ方とか、わかりやすさとかが必要なんだ!」

そしてマギーさんは、ネタを変えて改めて次のオーディションに臨み、見事に合格したのです。

手品を練習して上手くなればいいと思っていたが、それだけじゃないということをマギーさんは気付いたということです。

まだアマチュアだったこの時点で気付けたからこそ、その後も着実にステップアップしていけたのですね。
(岡戸孝宏)
 
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2019年05月11日23時00分~抜粋

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