2017年8月14日(月)

ドラゴンズひと筋の山本昌元投手 52歳の誕生日

多田しげおの気分爽快!! / スポーツ

“朝のPON人伝”では、その日に誕生日を迎える著名人のエピソードをお伝えしています。
8/11は、野球解説者の山本昌さんです。

山本昌さんは、中日ドラゴンズの元エースピッチャー。
「中年の星」として皆から愛され、数々の大記録を打ち立てました。

2015年のオフに、50歳で現役最年長野球選手として、32年間の現役生活に終止符を打ちました。現在は野球解説者、タレントして活躍する山本昌さんを振り返ってみましょう。

小学校3年生の時に野球を

山本昌さんは1965年8月11日生まれ。本名は、山本昌広(まさひろ)さん。「山本昌」は登録名です。
解説者やテレビタレントとしても「山本昌」さんと呼ばれているので、今は芸名と言っていいかもしれません。

生まれたのは、1965年、東京都大田区です。
生まれたときの体重は4,200g、かなり大きな赤ちゃんでした。1歳のときに自宅のアパートから転落して、頭蓋骨陥没骨折で生死をさまようくらいの重症を負いましたが、その後、まったく異常がなかったそうです。

野球をやり始めたのは小学校3年生の時。
中学生になって、神奈川県茅ヶ崎市に引っ越し、中学の軟式野球部に入りました。2年生のときにはエース。

その後、高校は日大藤沢高にスポーツ推薦で入学します。

5位指名でドラゴンズへ入団

卒業後は、日本大学に推薦入学することになっていました。本人は勉強して体育の先生を目指していたのです。

ところが、神奈川県選抜チームの一員として、韓国の高校選抜チームと試合を行いました。この時のピッチングが評価され、1983年にドラフトで中日ドラゴンズから5位指名を受けました。

実はプロ選手への道へ進むべきか、迷ったそうです。
しかしお父さんがドラゴンズの大ファンで、これが最終的な決め手となってドラゴンズに入団しました。

米でスクリューボールをマスター

ドラゴンズに入って3シーズン目の1986年、シーズン終盤に一軍初登板しましたが、その後、あまり活躍ができない時代が続きました。

1988年、22歳の時、中日は当時業務提携していた、アメリカのロサンゼルス・ドジャースと同じ、ベロビーチでキャンプを行いました。

その時中日は、野球交換留学として山本昌ら若手選手5人を、キャンプ後もそのままドジャーズに残しました。
周囲も、さらに本人も戦力になるかならないか、という程度の選手だったそうです。

そこで出会ったのが、ドジャーズの世話役であるアイク生原さん。
山本昌にとっては、運命の出会いと言っていいでしょう。
このアイクさんに野球の基本や生活習慣を厳しく指導されて、野球への熱意がどんどん燃え上がっていきました。

この頃、試合前のキャッチボールで、チームメイトでスクリューボールを投げている人がいました。
投げ方を教えてもらい試したところ、面白いように曲がって落ちる。これが山本昌の得意なスクリューボールの原点です。

これを武器にして登板し、アメリカの1Aのオールスターゲームに出るまでになりました。

ドラゴンズのエースに!

アメリカには1年滞在する予定でしたが、この活躍ぶりを見た、当時のドラゴンズ監督の星野仙一さんに呼び戻され、その夏に帰国することになりました。
ドラゴンズで先発の一角に加わり一軍で5連勝。その年のリーグ優勝に大きく貢献しました。

その後はドラゴンズのエースとして大活躍。
数多くの記録を達成しました。
2006年、41歳の時には、史上最年長でノーヒットノーランを達成。
2008年、歴代最年長(42歳)で通算200勝を達成。
2015年には50歳で登板し、こちらも日本記録となりました。

この最年長登板を果たした後、現役を引退。
219勝、165敗、5セーブという生涯記録でした。

しかも、最年長という記録が多いです。219勝のうち140勝は30歳以降に記録しています。40歳を超えても、46勝をあげたというすごい人です。

引退後は、野球の解説者、バラエティ番組のコメンテーターとしても大活躍の山本昌さん、8/11が52歳の誕生日です。
(みず)

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