2018年1月10日(水)

星野仙一さんは、なぜ川又米利選手の引退会見に同席したのか?

丹野みどりの よりどりっ! / スポーツ

4日にすい臓がんで亡くなられた星野仙一さん。中日、阪神、楽天をリーグ優勝に導いた偉業はもとより、その熱い指導ぶりが多くの元選手から振り返られています。

星野さんが中日監督に就任した最初のシーズンは1987年。この年に16本塁打、57打点と自己ベスト記録を出し「恐怖の7番バッター」と呼ばれ、88年のリーグ優勝にも貢献したのが川又米利さんです。
1/8の『丹野みどりの よりどりっ!』では月曜レギュラーの川又さんが、星野さんとのエピソードを振り返りました。

星野投手、最初の恐怖

川又さんが入団1年目の1979年、星野仙一さんはベテラン投手でした。

「春のキャンプで最後に全員でランニングをしたんですね。入団したばかりの僕らが先に走って、後でベテラン勢が戻ってきた時に、星野さんがひとこと。『外国人は走らんでええのか!』と怒りだして、ゲータレードっていうバケツみたいなドリンクを蹴っとばして。怖い世界に来たなあと思いましたね」

やるなら全員一緒。特別扱いはしない。
その後監督時代に招聘した三冠王・落合博満選手に対する処遇を連想します。

勝ったのか負けたのかわからない

そして星野さんの監督時代の話題に。

「ゲーム後にミーティングがあったんですね。ミスをしたら名指しで怒られる時もありました。勝った試合でもミスすれば怒られたので、ミーティングが終わっても『あれ?今日勝った?負けた?どっちだった?』ってこともありました」

こうしたことは委縮には終わらず、後々の試合に活かされてきたという川又さん。

テレビで繰り返されたあのシーン

そして野球ファンには語り草の、あのシーンの当事者として語ります。

「9回2アウト、1点差で負けていたところに僕が代打で行ったんですね。ライト前(ヒット)を打って一塁ベースを回ったところで、ついホームベースを見てしまったんですよ。ランナーが還ったかどうかを確認してしまって。セーフにはなったんですけど、そこで(星野監督が)ベンチから『なんでヨネ(川又さんの愛称)、セカンド行かないんだ!』とドヤされたことがありましたね」

その様子を見た川又さんの表情の変化とともに、テレビの珍プレー特集で繰り返し放送されたシーンです。

「だからその時は、ホームだったので本当は1塁(ベンチ)なんですけど、3塁側に帰りたい気分でしたよね(苦笑)」

本来であれば同点にした殊勲打で、喜びを爆発させたいところでしたが…

「一瞬に冷めました(笑)。次のバッターがヒットでしたから余計ですよ」

緊張しまくった川又さんの奥さん

そして番組エンディングでは、川又さんの奥さんに関するこんなエピソードも。

「これは女房から聞いたんですけど、88年の優勝旅行でオーストラリアに行った時に、ホテルのエレベーターで星野監督と3度出くわしたんですね。最初は女房と監督と3人で、緊張からなんとも言えない空間で(苦笑)」

2回目は奥さんが川又さんからカメラを取りに頼まれてエレベーターに乗った時。

「女房が星野監督と出くわしたところ、あまりにも緊張して下を向いて直立不動になっていたら『なんだ、そんなに俺が怖いのか』と笑われて」

そして3度目。

「扉が空いたら監督が乗っていて『いらっしゃいませ。何階でしょうか』と(笑)。で、降りる時に『ヨネよろしくな』と言われたと」

星野さんのお人柄が偲ばれるエピソードです。

川又さんの引退会見にも同席

ナゴヤドーム元年の1997年、川又さんは現役を引退します。
その引退会見には星野さんも同席しました。こうした会見に監督が並ぶのはとても珍しいことです。

「こういう会見って、一生に一度じゃないですか。自分ではこういうスタイル(監督の同席)が当たり前なのかなと思っていたんですけど、実は滅多にないことだったんだなと」

どうして同席されたのか、今なおその経緯はわからないそうですが、星野さんにとって、現役時代から苦楽をともにした数少ない選手でもあった川又さん。
それだけ川又さんを可愛がっていたことの証ではないでしょうか。
(ぴゆ太郎)

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