右大腿骨骨折
2023年2月22日、キャンプ中の練習試合で右大腿骨を骨折した岡田投手。
野球選手がこの骨を折るということは異例中の異例。手術をした医者曰く「交通事故を起こした時ぐらいの衝撃」だそうです。
岡田投手自身は、日常生活が送れるようになればと思っていたそうです。
松葉杖が取れ、両足で歩けるようになったのは2023年の夏。ここまでの数か月間でメンタルがどんどん落ちていったとか。
ナゴヤ球場でリハビリメニューをこなしていた岡田投手ですが、球場でプレーするチームメイトを見るのが何よりも辛かったそうです。
その姿を見れば見るほど、自分の今の立ち位置を痛感して耐えられなかったと振り返ります。
支えは家族
岡田投手の一番の支えは、妻、長女、長男、次男の5人家族でした。
若狭「パパが大怪我しても家族は落ち込まない。逆に、パパを一生懸命励まそうと、無理して明るく振る舞うわけでもない。普通でいてくれた。これが岡田家の素晴らしさだと思います」
食卓に並ぶ料理が明らかに高たんぱく、低カロリーの身体に良いものに変わったそうです。勉強して作ったはずの料理を「身体のことを考えて作ったの」などと言うこともなく普段通り。
長女は歩きづらいパパのために、勉強机に向かう時に自分が使っていたキャスター付きの椅子を勧めてくれたそうです。
若狭「そんな奥さんや娘の優しさもパパには十分伝わっていました。岡田投手は『生きる活力を家族に貰った』と話していました」
ポジティブ思考
昨年の秋のキャンプオフの自主トレ、今年に入っての春のキャンプと、復活に向けて徐々にステップアップした岡田投手。
ところが今年2月21日、読谷球場でバッティングピッチャーを務めて6球投げたところ、左アキレス腱の肉離れを起こしてしまいました。
若采「嫌ですよね、怖いですよね。あの大怪我をした日にちとほぼ同じ日付ですよ。去年の右足が2月22日、今年の左足が2月21日。野球の神様はなんでここまで岡田をいじめるのか?」
実はこの時の気持ちを岡田投手に直接聞いて驚いたという若狭。
左投げの岡田投手は軸足が左足です。「軸足を怪我したということは、投げる時にしっかりと蹴れている証拠」とポジティブに捉えていたそうです。
続けて「やっと軸足が使えるところまで来たってことですよ。左足を怪我すると右足の痛みって、ホント忘れるんですよね」と語ったとのこと。
マウンドでの決意
岡田選手の怪我が完璧に治ったのは3月下旬。
4月17日、二軍での公式戦復帰の3日前、井上監督と浅尾コーチが見守る中、見事145キロを出しました。
20日にナゴヤ球場で行われた中日-オリックス戦。岡田投手は9回、3番手で登板しました。
この日のナゴヤ球場は満員。来場者には桜をイメージした昇竜ユニフォームがプレゼントされた日でした。
桜が満開のようなナゴヤ球場。割れんばかりの大歓声の中マウンドへ。
当初はワンナウトを取って岩崎投手に変わる予定だったそうですが、なんと2球でツーアウトを取りました。
ならば、ということで続投。9回の1イニング5球でスリーアウトを取り無失点。セーブが付きました。
岡田投手はこうコメントしたそうです。
「声援に鳥肌が立ちました。一瞬、僕だけの空間になりました。そんな中で抑えることができて、やっぱりファンのために、パワーアップしてもう一回マウンドに上がりたいと決意しました」
復活の日
復活の日となった20日の試合。
当然球場に家族を呼んでいると思った若狭は、岡田投手に家族の反応を聞いたそうです。その時の答えがこちら。
「家族は呼んでません。投げるということを妻には言いましたが、こどもたちには言っていません。家族を呼ぶのはバンテリンドームと決めているんです」
岡田投手の決意は、怪我からの復帰だけでなく「パワーアップして、もう一度、マウンドに上がること」。
ちなみにこの日の最高球速は147キロだったそうです。
家族を呼ぶ場所
翌日中日スポーツを見た長女は「パパ投げてるじゃん!」と目を丸くしたそうです。
長男、次男は「パパ投げてるってことはいつドーム行くの?」と聞いて来たそうです。
やっぱりバンテリンドームで、家族に自分の投げる姿を見せようと強く思ったという岡田投手。
岡田家が、パパの勇姿を最後に見たのはコロナ前の2019年。5年も前です。
若狭「自分が戻る場所はバンテリンドーム。パワーアップして、一軍のしびれる試合に絶対に戻る。そこに家族を呼ぶ。岡田俊哉投手は今、そういう決意をしています。
そんな日が早く来ることを願うばかりです」
(尾関)