若狭敬一のスポ音

元中日ドラゴンズ谷元圭介、現役引退を実感した映像を語る

10月3日、バンテリンドームナゴヤで行われたドラゴンズの今季最終戦では、引退を発表した谷元圭介投手が、試合後のセレモニーに大野奨太選手、福田永将選手、堂上直倫選手らと登場しました。

7日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』では谷元圭介さんが出演し、これまでお野球遍歴や引退について語りました。

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サッカー少年から野球少年へ

谷元さんは三重県鈴鹿市の出身。
小学生の頃はサッカー少年でしたが、転校そて最初に仲良くなった隣の家の子に誘われて野球を始めたそうです。 

三重県立稲生高校の一年までは内野手でしたが、肩の強さを買われて投手へと転向。当時は野球が上手くなりたい一心だったそうです。 

中部大学へ進学すると愛知大学野球のリーグ戦で活躍。プロを目指すには167センチという小柄な身長がネックだと思っていたそうですが、この頃に意識に変化が。 

「当時の監督に、身長を武器にしなさいと言う言葉をいただいた時に、二つ上にドラゴンズのOBの鈴木義広さんがいて、こういう人がプロになるんだって思って、やらなきゃいけないと思うようになりましたね」 

鈴木義広さんは中部大学から初めて誕生したプロ野球選手でした。大学に入って、先輩や同級生がドラフトで指名されていくのも刺激になったそうです。
同級生では、後にドラゴンズで一緒になる浅尾拓也さんが、日本福祉大学で投げていました。 

社会人からプロへ

バイタルネットへ入社すると、社会人野球で入社1年目からエースとして活躍しました。
谷元さん曰く、この時には「がっつり」プロを意識していたそうです。 

「終日勤務が終わった後に練習だったので、野球の技術はもちろん人間的にも成長できたと思います」

2008年のドラフト会議で日本ハムファイターズから指名を受けプロの世界へ。

そして2017年7月31日にドラゴンズへ移籍。
今年の10月3日、バンテリンドームで行われた対ジャイアンツ戦で、通算14年の現役生活最後の登板を終えました。 

ファイターズ時代の監督

引退セレモニーのスピーチでは5人の監督の名前が挙がりました。

谷元さんがプロ野球生活を始まったのは、梨田昌孝監督時代の日本ハムでした。

「プロ野球選手になるチャンスをいただいた監督でもありますし、一軍二軍を行ったり来たりの厳しさも教えてもらった監督でしたね」 

引退セレモニーではサプライズ登場した栗山英樹監督。 

「顔見たらヤバかったですね。いろんなことが思い出されましたし。本当に親身になっていろんなことを聞いてもらったんでヤバかったです」 

栗山監督からは責任と自覚を与えてもらったそうです。 

「言葉だけではなくて、谷元でやられたら仕方がないから思い切ってやってくれって本当に思ってるんですよ。選手を信頼してくれる監督でした」 

ドラゴンズ時代の監督

ドラゴンズに来るきっかけを与えてくれたのが森繁和監督でした。 

「地元でプレーする機会をいただきました。お前何しに来たんだ、みたいなことを言ってきますし、見た目も怖いですけど、愛情の塊のような人です」 

与田剛監督については。 

「森監督の時は全然チームの役に立てなかったんですけど、与田監督に変わった時に、復活するチャンスをいただいたと思っているので感謝しています」 

最後は立浪和義監督。 

「勝利への執念、意識を変えていこうと、常々監督がそうおっしゃってたんで、改めて野球は勝たなきゃいけないと思いました」 

引退を実感した時

スピーチでは家族についても触れた谷元さん。
母親については、観戦に来てくれるけど、自分がマウンドに立つと席を立ってしまうと泣かせる言葉もありました。最後の登板はどうだったのでしょうか? 

「聞いてないですね。それは、見てくれたらいいなでいいかなと思ってます」 

あえて尋ねていないという谷元さん。 

「たぶん見てたと思います」 

谷元さんは、昨日(6日)、初めて今年のWBCの記録映画『憧れを超えた侍たち 世界一への記録』を見たそうです。
今までは代表として出られなかった悔しさもあり、心情的に観られなかったとのこと。 

「でも、昨日、応援して見ていた自分がいたんです。ああ、もう僕は心も身体も、全部引退したんだなって思いましたね」

最後に若狭アナから、これからやりたいことを尋ねられ「ハンバーガーとピザを思う存分食べること」と明るく答えた谷元さんでした。 
(尾関) 
 
若狭敬一のスポ音
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2023年10月07日15時04分~抜粋

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