若狭敬一のスポ音

批判に「強烈でした」…山田久志、監督時代のトレードを振り返る

元中日ドラゴンズ監督で野球解説者の山田久志さんが、9月17日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』に出演し、監督時代のトレードについて語りました。

何かと賛否両論を呼んだ山田監督時代のトレード。
その時、盟友で前監督の星野仙一さんからかけられた言葉とは?

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FA選手を取る時は?

山田さんが中日ドラゴンズの監督を務めたのは、2002年から2003年のこと。
就任した2001年オフに、中村武志捕手が当時の横浜ベイスターズに金銭トレードされました。

実はこのトレードは難航し、2001年12月とかなり遅い時期に成立しました。
この件について、経緯を話し始める山田さん。

山田「監督引き受けた時に、チーム編成をいろいろ考えるんだよね。
あの時に谷繁(元信捕手)をフリーエージェントで獲得できるって確信あったから、『谷繁を獲ってくれ』って会社にお願いしたんです」

衰えが見えてきた中村選手と比べると、戦力として谷繁選手が欲しいのは当然。

若狭「FAで人を獲る時って、監督主導なんですか?」
山田「もちろん。でも会社がゴーサインを出すまでが難しい」

最初は球団からいい返事が貰えなかったそうです。契約年数や待遇などが大きな問題だったそうです。

今だから言える話

若狭「谷繫元信選手を獲得できる確信があったから、中村武志さんを金銭で出したってことですか?」

山田「出したんじゃないの。もうその話をしてもいいと思うけども、中村武志に関してはね、私は『中日ドラゴンズで終わりなさい』って言ってたの。貢献度ってすごいから」

星野監督時代、中日の捕手と言えば中村武志さんでした。

しかし中村さんには「まだ燃焼しきれていない。もう少しキャッチャーで勝負したい」という気持ちが強くあったそうです。
そこで山田さんが提案したのがプレーイングコーチ(選手兼コーチ)。これが12月まで伸びた理由。

山田「どうしても本人が『もう一回選手一本でやりたい』って言うので、球団にお願いして、チームを探してもらって横浜になった」

ちなみに、こういう時は会社側が他の11球団に対して動く時もあれば、監督が人脈を使って動く時もあるそうです。

当時は強烈でした

山田「あれほどの選手を金銭トレードっていうのはね。選手に対する申し訳ない気持ちってあるんですよ」

「中村武志」というネームバリューがあれば、衰えはあっても、かなりの選手とトレードが成立したはず、と山田さん。

当時金銭トレードには、選手同士のトレードに比べてネガティブなイメージがありました。この時の山田さんへの風当たりも厳しかったそうです。

「当時は強烈でした。『なんで名古屋のスターをそういう扱いするんだ』っていう批判がすごかったです」

今だから言える、中村武志さんのトレード騒動、こんな経緯があったのでした。

実は持ちかけられた話

そして監督就任2年目の2003年、シーズン前の1月に二つのトレードが成立しました。

野手として活躍していた山崎武司選手と、オリックスの平井正史投手とのトレード。
もう一つ、中日の鈴木郁洋捕手を近鉄へ金銭トレードしたことです。

山田「結構大きなトレードが成立しました。これは、かなり物議をかもしましたね」

若狭「山崎武司のトレードについては、いま振り返っても大きなトレードです」

前出の中村さん同様、山崎さんも名古屋のスターでした。
出番が少なくなっているとは言え、主力選手の一人。放出には相当な批判を浴びる覚悟が必要でしたが、山田さんは断行しました。

山田「これはね、本当の中の話をしますとね、オリックスから持ちかけられた話なんですよ。こっちから持ってった話じゃないんですよ」

当時の山崎選手は守備や、肩、足に衰えが見えて、常時レギュラーとして出ることは難しくかったのですが、バット一本なら十分勝負できると見たオリックスが打診してきたとのこと。

1対1。そこに行くまでには

パ・リーグにはDH制、つまり指名打者制があります。

山田「オリックスから条件を出して来て、選手を3人ぐらい出してきたんです」

若狭「表面的には1対1だけど、1対1でテーブルにドンってことはない。その前に、いろんな選手がリストされていて、その中からチョイスするわけですね」

オリックスが出してきた選手は4人。その中に山崎さんとトレードが成立した平井さんがいたそうです。

山田「山崎も周りも『山田が仕掛けた』って言ってるけども、全くの反対」

山崎さん本人も当時の心境を著書で書いているそうです。
ちなみにオリックスの前身は、山田さんが現役時代に在籍した阪急ブレーブスです。

山崎さんからすると、山田さんに「絶対必要だから残ってくれ」と言われたのに使われなかったという気持ち。
山田さんからすると、戦力として考えていたので、当然「残ってくれ」と言ったそうです。

山田「ただ使ってみると、だんだん山崎武司を使う場面がないわけですよ。でも、本人は、まだまだドラゴンズで勝負できると思ってる。そこの考え方の違いですよね」

お前しかいないんや

若狭「選手に嫌われたくないとか、恨まれるのやだなあとは、考えなかったですか?」

山田「星野仙一とも話したことありましたけども、『俺はできない』って言ったもん」

星野さんは「中村武志とか山崎を外に出すことは、俺はとてもできない」と言ったそうです。
中村さんも山崎さんも星野さんが名古屋のスターに育てた選手。しかも星野監督自身、名古屋で育った選手でした。

「星野さんは情の面もあったじゃないですか。だから、改革みたいなことに関しては、『ヤマ、お前しかいないんや』って話はしてました」

しこりは残ってしまいましたが、外様だからこそ断行できた改革でした。
(尾関)
 
若狭敬一のスポ音
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2022年09月17日12時45分~抜粋

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