今シーズン限りで現役を引退した、元中日ドラゴンズの藤井淳志さんが、11月20日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』に出演しました。
立浪和義新監督とのエピソードも語られました。
藤井淳志が証言。立浪監督が身だしなみに厳しいのは昔からだった
立浪さんから出た外出禁止令
「立浪監督になりましたが、立浪監督は藤井さんから見てどんな方でしたか?何かエピソードはありますか?」(Aさん)
藤井「僕が30数本ヒット打った4年目のオープン戦です。
立浪さんに『お前が大事なのは今年だろ?このオープン戦期間中は外出禁止だ』と言われたんですよ。野球に集中しろって言われて」
藤井さんは、オープン戦は全国に行けるので、普段行けないとこも行って飯が食える、と楽しみにしていたそうです。
「嘘だろ」と思っても、相手は大先輩の立浪さん。「はい」と答えるしかなかったそうです。
藤井「僕が30数本ヒット打った4年目のオープン戦です。
立浪さんに『お前が大事なのは今年だろ?このオープン戦期間中は外出禁止だ』と言われたんですよ。野球に集中しろって言われて」
藤井さんは、オープン戦は全国に行けるので、普段行けないとこも行って飯が食える、と楽しみにしていたそうです。
「嘘だろ」と思っても、相手は大先輩の立浪さん。「はい」と答えるしかなかったそうです。
毎日、立浪さんが
「約束だぞ」と言う立浪さんに、藤井さんは見えないところで拳を握り締めて「くそ~っ」と思いつつも「わかりました」と答えたんだとか。
藤井「めっちゃテンション落ちてたんですよ。そしたら速攻、その日の夜、立浪さんから電話があって『おい、飯行くぞ』って」
立浪さんは、大事な時期を迎えた藤井さんが外でハッチャケないようにと出した外出禁止令でした。
しかしホテルに缶詰めも可哀想ということで、毎日、食事に連れて行ってくれたんだそうです。
藤井「立浪さんの引退試合は怪我をしてて、キャッチャーの後ろから見てたんです。だから、あの時、ベンチにいられなかったのが今でも残念ですね」
藤井「めっちゃテンション落ちてたんですよ。そしたら速攻、その日の夜、立浪さんから電話があって『おい、飯行くぞ』って」
立浪さんは、大事な時期を迎えた藤井さんが外でハッチャケないようにと出した外出禁止令でした。
しかしホテルに缶詰めも可哀想ということで、毎日、食事に連れて行ってくれたんだそうです。
藤井「立浪さんの引退試合は怪我をしてて、キャッチャーの後ろから見てたんです。だから、あの時、ベンチにいられなかったのが今でも残念ですね」
勝利への貪欲さ
藤井「晩年の立浪さんがマジ切れした後輩も、たぶん僕しかいないと思います」
藤井さんが出場した負け試合。帰りのバスの中で携帯ゲームをやっていたそうです。
すると、後ろからいきなり頭をはたかれた藤井さん。
「おいお前!降りたら部屋に来い!」と立浪さん。
「え?」と思っても答えは「はい」しかありません。
藤井さんは立浪さんの部屋に行って正座します。
藤井「『レギュラーで出る人間が試合に負けて携帯いじってるって、どういうつもりだ?
自分のせいで負けたと思わんのか?お前には、それぐらいの責任はないのか?』って言われて。立浪さんはそういう人です」
藤井さんが出場した負け試合。帰りのバスの中で携帯ゲームをやっていたそうです。
すると、後ろからいきなり頭をはたかれた藤井さん。
「おいお前!降りたら部屋に来い!」と立浪さん。
「え?」と思っても答えは「はい」しかありません。
藤井さんは立浪さんの部屋に行って正座します。
藤井「『レギュラーで出る人間が試合に負けて携帯いじってるって、どういうつもりだ?
自分のせいで負けたと思わんのか?お前には、それぐらいの責任はないのか?』って言われて。立浪さんはそういう人です」
空気は変わっている
立浪ドラゴンズになり、藤井さんは周りの人から「チームはどうなるのか」と聞かれるそうです。
藤井さんは必ず「めちゃくちゃ厳しくなりますよ。とにかく空気は全然変わりますから」と答えることにしているとか。
実は藤井さん、放送前に初めて立浪ドラゴンズの練習を見たそうです。その感想は?
藤井「僕はもっとピリピリした空気が凄いのかなあと思っていたんですが、緊張感があるのに、選手たちがノビノビやってたんです。これは来年は変わるなと思いましたね。めちゃくちゃ良いと思います」
ちなみに根尾選手と話した時には「ヤバいです。身体がバキバキになってます」と言っていたそうですが…。
藤井「野球やってるな~って感じです。本当に違います。つい1か月前とは全く別の空気です」
立浪ドラゴンズ、充実した練習が行われているようです。
藤井さんは必ず「めちゃくちゃ厳しくなりますよ。とにかく空気は全然変わりますから」と答えることにしているとか。
実は藤井さん、放送前に初めて立浪ドラゴンズの練習を見たそうです。その感想は?
藤井「僕はもっとピリピリした空気が凄いのかなあと思っていたんですが、緊張感があるのに、選手たちがノビノビやってたんです。これは来年は変わるなと思いましたね。めちゃくちゃ良いと思います」
ちなみに根尾選手と話した時には「ヤバいです。身体がバキバキになってます」と言っていたそうですが…。
藤井「野球やってるな~って感じです。本当に違います。つい1か月前とは全く別の空気です」
立浪ドラゴンズ、充実した練習が行われているようです。
実は昔からだった
藤井「いま身だしなみのことがよく取り上げられるじゃないですか。あれも、実は立浪さんは、現役の時から若い選手に言ってることなんです」
藤井さんは髭は言われたことがなかったそうですが、茶髪と長髪はご法度だったそうです。立浪さんが現役の時、茶髪と長髪の若い選手は一人もいなかったんだとか。
藤井「僕なんて、髪切った次の日に立浪さんに『おはようございます』って言ったら、『おい、髪長げえな』って言われて、二日連続で切りに行きましたもん」
立浪さんに「長い」と言われて、「昨日行きました」とは言えなかった藤井さんでした。
藤井さんは髭は言われたことがなかったそうですが、茶髪と長髪はご法度だったそうです。立浪さんが現役の時、茶髪と長髪の若い選手は一人もいなかったんだとか。
藤井「僕なんて、髪切った次の日に立浪さんに『おはようございます』って言ったら、『おい、髪長げえな』って言われて、二日連続で切りに行きましたもん」
立浪さんに「長い」と言われて、「昨日行きました」とは言えなかった藤井さんでした。
ファームで心がけたこと
藤井さんへの質問メールが寄せられました。
「去年と今年、おそらく体調は万全だったと思います。しかし一軍に呼ばれませんでした。二軍で先頭に立って元気を出していた姿が本当に心に刺さっています。モチベーションを保ち続けるため、藤井さんが一番心がけていたことは何ですか?」(Bさん)
藤井「今までは自分がどうするか?自分がどうなりたいか?だったのが、この3年は自分ではなく、自分+若い選手っていう風に変わった感じです」
一軍から二軍に落ちた時はモチベーションという言葉さえ忘れかけていたそうです。それほど一軍の舞台から降りたことがショックだったようです。
藤井「僕が自分のことだけ考えて、ファームでやってらんねえなあってやったら、みんなに悪い影響を与えるから、僕はそれだけはダメだと思ったんです。
若い選手は常に、ベテランと言われる選手が野球に取り組んでる姿勢を見てるんです」
「去年と今年、おそらく体調は万全だったと思います。しかし一軍に呼ばれませんでした。二軍で先頭に立って元気を出していた姿が本当に心に刺さっています。モチベーションを保ち続けるため、藤井さんが一番心がけていたことは何ですか?」(Bさん)
藤井「今までは自分がどうするか?自分がどうなりたいか?だったのが、この3年は自分ではなく、自分+若い選手っていう風に変わった感じです」
一軍から二軍に落ちた時はモチベーションという言葉さえ忘れかけていたそうです。それほど一軍の舞台から降りたことがショックだったようです。
藤井「僕が自分のことだけ考えて、ファームでやってらんねえなあってやったら、みんなに悪い影響を与えるから、僕はそれだけはダメだと思ったんです。
若い選手は常に、ベテランと言われる選手が野球に取り組んでる姿勢を見てるんです」
ベテランのプレイに震える
藤井「当時感動したことがあって、メジャー行って帰って来た、オリックスの田口さんっているじゃないですか。
田口さんが最後の年かな、二軍に落ちて代打で出てきたんですよ」
田口壮選手の現役最後の年は2011年です。8月29日に一軍登録抹消。その後、昇格することはありませんでした。2011年の藤井さんは一軍と二軍を行ったり来たりしていました。
藤井「当時大ベテラン。代打で出て来て、ピッチャーゴロ。全然アウトなんですけど、一塁までブワーッて全力で走ってたんです。
当時僕は何歳だろう?その姿を見た時に、こういうのってすごい大事だなあって若いながらも思って、僕もそういうふうじゃなきゃなと思いましたね」
二軍の試合での田口選手のピッチャーゴロ、全力疾走はメディアでは一切報じられません。その現場にいた人間にしかわかりません。
現場にいた選手でも、この姿に心動かされた選手がどれだけいたでしょうか。
藤井「もう40過ぎてたんじゃないですかね。メジャーまで行ったすごい人が、二軍の試合のピッチャーゴロでも一塁まで本当に全力疾走ですよ。ああ、こういう姿ってすごいなあと思いました」
立浪監督との絆、野球への愛が感じられる藤井淳志さんの話でした。
(尾関)
田口さんが最後の年かな、二軍に落ちて代打で出てきたんですよ」
田口壮選手の現役最後の年は2011年です。8月29日に一軍登録抹消。その後、昇格することはありませんでした。2011年の藤井さんは一軍と二軍を行ったり来たりしていました。
藤井「当時大ベテラン。代打で出て来て、ピッチャーゴロ。全然アウトなんですけど、一塁までブワーッて全力で走ってたんです。
当時僕は何歳だろう?その姿を見た時に、こういうのってすごい大事だなあって若いながらも思って、僕もそういうふうじゃなきゃなと思いましたね」
二軍の試合での田口選手のピッチャーゴロ、全力疾走はメディアでは一切報じられません。その現場にいた人間にしかわかりません。
現場にいた選手でも、この姿に心動かされた選手がどれだけいたでしょうか。
藤井「もう40過ぎてたんじゃないですかね。メジャーまで行ったすごい人が、二軍の試合のピッチャーゴロでも一塁まで本当に全力疾走ですよ。ああ、こういう姿ってすごいなあと思いました」
立浪監督との絆、野球への愛が感じられる藤井淳志さんの話でした。
(尾関)
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