野球解説者の山田久志さんが、9月11日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』に出演し、プロ野球選手にとっての練習の大切さ、自分を追い込むことの重要さについて語りました。
まず山田さんと同郷で、同じ中日ドラゴンズ監督を務めた落合博満さんの話題から始まりました。聞き手は若狭敬一アナウンサーです。
プロに必要なことは練習
落合博満さんがインタビューで言っていたのが、「プロたるもの、成績を残すためには能力だけじゃダメ。やっぱり練習が必要。そして昭和の時代は、練習はそんなに人に見せるものではなかった」ということ。
落合さんが人知れずバットを振りまくったのは、ロッテ時代にタイトルを獲り始めた頃からだったそうです。
1979年入団で、一軍昇格した1981年の首位打者を皮切りに、82年には史上最年少の三冠王を獲得。猛練習を始めたのはこの頃からだそうです。
若狭「山田さんも練習はしました?」
山田「オフは誰よりもやったと思うね。プロに入って3年目ぐらいからかな。やり出したのは」
山田さんは2年目から17年連続二桁勝利をあげています。
山田さんも落合さんも、名前が売れ始めた時期に、人知れず猛練習を始めたという共通点がありました。
きっかけは治療
山田「プロへ入った頃からちょっと腰が悪かったんですよ」
分離すべり症に悩まされたという山田さん。これが腰に負荷がかかるスポーツ選手がよく罹る症状だそうです。
その治療を兼ねて先輩に連れて行ってもらったのが和歌山県の勝浦にある温泉病院。
山田「自主トレの前に、治療がてらトレーニングに行くんです」
若狭「自主トレの前?」
山田「合同自主トレと言っておきながら全員集合。1月15日がスタート」
若狭「実質、春のキャンプみたいなもん?」
山田「キャンプより酷いよ。自主トレと言いながら練習メニューも全部決まってる」
この合同自主トレ前の温泉治療兼トレーニングを始めて2年目。これは自分に合うと自覚した山田さんは現役を辞めるまで、1月3日の夜、勝浦入りしていたそうです。
誰も知らない過酷な練習
山田「当時としては珍しくマンツーマンで先生が付いてくれた。それが酷い練習なの。先生、もうできないよってぐらいやらされるの」
その練習は、器具を使わない自重トレーニングで、同じ姿勢を1分間維持する、今で言うインナーマッスルを鍛える体幹トレーニングです。60種類のメニューがあったそう。
メニューの間のインターバルが1分。60種類で1時間、インターバルを入れて約2時間のトレーニング。当時としては画期的な練習方法です。
山田「毎日休みなし。それでのたうち回ってた。あとは砂浜をひたすら走る」
若狭「それって、当時メディアで取り上げられませんでした?」
山田「誰も全く知りません。温泉行ってると思ってるもん」
この回答に大爆笑する若狭アナ。
効果がわからないトレーニング
若狭「落合博満さんが言ってたのはコレか…。昭和のスター選手たちは成績が出始めると人知れずやってたって言ってたんです」
山田「それなりにみんなやってるよ。長嶋さん、王さんは有名だよね。あの福本(豊)さんみたいな、全くやらないような人でも、『俺もやる時はやるんだよ』って言ってましたよ」
「インナーマッスル」「体幹」などという言葉はなかった当時、山田さんは意味もわからずこの練習を続けていたんだそうです。
山田「つまんないどころじゃなくて、何のためにやってるかわからない。効果が全然わからないから。ボールが速くなるわけでもないし、身体が大きくもならんし」
しかし、怪我に繋がらないためのトレーニングだということは直感的に感じていたそうです。
地味なトレーニングが生んだ結果
何年か山田さんがこのトレーニングを続けていることを、やがて阪急球団が評価しだし、故障持ちの選手を送り込んできたそうです。
そうなるとマスコミが取材を始めます。その結果、阪神や中日からも個人で勝浦に来る選手が現れたんだとか。
山田「ところが、この両チームの選手は、練習がキツ過ぎて2~3日でみんな帰りました。私が若手を連れて行った時も、若手は出来なかった。それに、こんなのなんでやらなくちゃいけないの?って最初は私も思ったもん」
キツイ上に、当時は意味がわからないトレーニング。他の選手がすぐに帰ったのも無理はありません。
山田「私のオフは12月のクリスマスまで。その後、一週間は勝浦へ行く体作り。正月の3が日になっても身体を動かしてるわけね。勝浦へ行って、合同自主トレの時は、みんながびっくりするぐらいの身体が出来上がっていた」
落合博満さんと山田久志さんの共通点は、人知れず練習していたこと。
地味で過酷な練習を続けていたからこそ、結果が出たということなんですね。
(尾関)
若狭敬一のスポ音
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2021年09月11日12時45分~抜粋