若狭敬一のスポ音

昭和の野球少年が、オリンピックの若い世代を見て感じたこと

8月21日放送の『若狭敬一のスポ音』では、ダイノジの大谷ノブ彦(ダイノジ)が東京2020オリンピックを見て感じたことを語りました。

大谷ノブ彦と同じく野球少年だった若狭敬一アナウンサーと二人で、学生時代の部活生活を振り返るところから始まりました。

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昭和の部活

大谷「日本社会の構造の問題など、東京オリンピックって、いろんなことが浮かび上がった大会でもあると思うんですね。
でも競技が始まったら、アスリートの皆さんの活躍にもの凄く胸を打たれましたね。特に若い世代」

大谷は1972年(昭和47年)生まれ。中学まで野球をやっていたのですが、部活では水を飲んではいけなかったそうです。
1975年(昭和50年)生まれの若狭アナも、同じだったとのこと。
昭和の部活は、なぜか「水を飲むとバテる」と言われていました。

大谷「我慢しろでしたね。トイレに行かせてくださいって言って、ガブガブ飲むみたいな」

若狭「その時の温い水が、命の水に思えてしまった」

大谷「いま笑い話にしてますけど、結構ヤバいことですから。僕らは、根性とか精神論的なものにスポーツを持って行かれがちな世代なんですよ」
 

俺らめっちゃ古いんや

大谷「ところが、今年から競技になったスケボーとかサーフィンを見てるうちに、『あれ?俺らって、めっちゃ古いんや』って思いました。むしろ核心になったと言った方が良いですかね」

それは、エンゼルスの大谷翔平選手が二刀流で活躍したあたりから感じていたそうです。大谷翔平選手は、投げて打って、野球を楽しんでいる感があります。

大谷「俺たちは、先輩からもの凄い負荷をかけられて、それを乗り越えてやっと一人前になったみたいなとこがあるけど、若い世代の子たち見ると、根性とか通過儀礼を乗り越えてみたいなのがあんまりないんですよ」

恐らく若い世代は競技を楽しむことが一番。金メダルを獲ることに固執せず、大会において自分のベストのパフォーマンスを出すことが大事なように見えたそうです。
 

1964年閉会式がスタンダードに

かつてオリンピックの閉会式は整然と国別に入場していたのですが、1964年の東京オリンピックではバラバラでした。

大谷「日本酒を選手に振る舞っちゃいまして、ベロベロに酔っぱらった結果、各国入り乱れてみんなで入場したんです」

日本酒を振る舞ったのかは確認できませんでしたが、酒を飲んでいる選手は確かにいたそうです。

若狭「本当はベロベロになっただけなんですね」

大谷「みんなで肩組んでわーって入って来ちゃった」

盛り上がった選手たちは、日本選手団の旗手を肩車して競技場を一周しました。

大谷「でも、これ伝説になってて。つまり国ごとじゃないんだよと。国境なんか越えちゃうんだよっていう、ひとつの良い形として語り継がれているんですって。たまたまなんですけど」

これ以降、ラフな形で入場するのが「東京スタイル」としてスタンダードになりました。
 

男子マラソンで見た光景

話題は今年の東京五輪へ戻ります。

大谷「男子のマラソンで、2位3位になった選手が、実は同じ国から亡命してやって来てたんですよ。切磋琢磨してマラソンランナーになった。だから手招きして、もっと頑張れよって」

2位のオランダ代表アブディ・ナゲーエ選手と3位のベルギー代表バシル・アブディ選手は二人ともソマリア出身で練習パートナーでもありました。
ゴール前ではナゲーエ選手が何度も振り返り、アブディ選手を励ましていました。

大谷「これ、ただの美談じゃなく、本当は国って何なんやろう?みたいな。見てる人たちが、国境や人種っていらなくない?とか、そういうことに気付く、始まりの大会かなと思ってるんだ」

 

スケボーと野球の違い

大谷「金メダルを国別で争うのは盛り上がって当たり前なので、残してもいいと思う。だけど、最終的に大会を通じてみんなが国境なくてもいいじゃん、みたいなことに気付いていく。そこなんじゃないかと思っちゃう」

スケートボード女子でメダルを狙って攻めた演技を披露した岡本碧優選手。失敗して泣き崩れる岡本選手を各国の選手がサポートし始めた時、「敵を倒すとかいう感じは古いんやな」と大谷は思ったそうです。

大谷も若狭も好きな野球については、金メダルを獲った侍ジャパンの選手たちからホッとした感じが伝わって来たそうです。

大谷「プレー自体を楽しむというよりは“負けられない俺たち”みたいな硬さを感じた。日本代表の野球って本当にそれなのかなあ?と、オリンピックの若い世代を見てて感じました」
(尾関)
 
若狭敬一のスポ音
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2021年08月21日12時46分~抜粋

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