若狭敬一のスポ音

大谷ノブ彦、中日ドラゴンズの不思議な法則を発見してしまう。

9月21日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』では、大谷ノブ彦(ダイノジ)が、中日ドラゴンズの歴史には不思議な法則があったのでは?と持論を展開しました。

巨人、明治大学、ドラゴンズ…そこには、昼ドラ並みのドロドロの三角関係があったのです。

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ドラゴンズの法則を発見

「もうシーズンオフですから、ifの話。もしもの話ばっかりしません?空想みたいな話。与田監督には来年、頑張ってもらいますけど、与田監督じゃなかったらどの監督がいい?って話とか」

決して現実逃避をしているわけではなさそうです。

なぜこんなことを言いだしたかと言うと、以前、単独トークライブの折、ドラゴンズの資料を集めて、頭の中に入れたところ、ドラゴンズについての不思議な法則を発見したんだそうです。

「中日ドラゴンズってジャイアンツへのカウンターなんですよ。歴史の中にそれが出ているんです」と力説する大谷。

ドラゴンズの本質

「僕、実は2つ法則を感じてて、カウンターというのが中日ドラゴンズの全ての本質的なものだと思っています」

ひとつはジャイアンツへのカウンター。
もうひとつは、東京六大学の明治大学としての他大学へのカウンターだそうです。

1954(昭和29)年、中日を初めて日本一に導いた天知俊一監督。その後の水原茂監督、与那嶺要監督は元巨人の選手だと大谷は指摘します。
そして天知監督の元、フォークボールで力投した杉下茂さんの出身校が明治大学。

天知さんと杉下さんが出会った場所が明治大学の野球部です。杉下さんは、この時、天知さんからフォークボールを伝授されました。
歴代の中日監督と、明治大学、巨人のただならぬ関係について大谷の話は進みます。

巨人と中日監督の関係

「そして巨人に指名されるはずだった男で、中日に入った明治大学生が星野仙一さん」

1968(昭和43)年のドラフトで星野さんは、「田淵幸一が獲れなかったら1位に指名する」という口約束を巨人のスカウトから貰っていましたが、巨人が指名したのは島野修さん。
ご存じのように星野さんは中日へ入団しました。

「落合博満さんも、本当は1979年のドラフトで巨人に指名されるはずだった。
でもボイコット事件で巨人がドラフトには行きません、となり落合さんはロッテに入ったんです」

1978(昭和53)年のドラフトでは、巨人が落合さんをドラフト2位指名する予定でしたが、江川卓さんの入団にまつわる「江川事件」でドラフトをボイコット。
その結果、落合さんはロッテに入団したのです。

4体1のトレード

「カウンターの意識。星野さんにはジャイアンツを倒すという目的が原動力としてあった。落合さんはロッテで三冠王を3回獲ったんけど…」

ロッテ球団事態に資金がなくなってきて、身売りまで検討されました。
そして当時の落合さんの理解者だった稲生和久監督の解任が決定。落合さんとしてはロッテにいる理由がありません。

「じゃあ、どこが引き受けるか?最初に手を挙げたのが、もちろんジャイアンツです。これは有名な話ですよね?」

ところがジャイアンツがロッテに対してトレードする選手を用意できませんでした。
この隙を縫って当時、中日の監督だった星野さんが4人の選手を出しました。牛島和彦さん、桑田茂さん、平沼定晴さん、上川誠二さんの4人対落合さん1人のトレードは衝撃的でした。

巨人が欲しがっていた落合さんを、打倒巨人に燃える星野さんが獲ってしまう執念の様なものを感じます。
しかも星野さんも、落合さんもプロ入り時は巨人入りの可能性もあったという、ただならぬ関係です。

逆のカウンターに

「そして落合さんは中日に来た。ここで治るかというと、この後、FA。導入されたフリーエージェントの権利を一番最初に行使したのが落合さん。
ジャイアンツへ行って、翌年"10.8"です。その試合でホームランを打つ。いつの間にか敵になった落合さん。逆のカウンターです」

1994年、公式戦130試合のうち129試合終了時点で、中日と巨人が勝率が同率で首位に立っていました。10月8日の最終戦でセ・リーグ優勝チームが決まるこの試合、結果は6対3で巨人の勝利。2回表に落合さんはソロホームランを打ちました。

中日と明治大学

落合さんのその後は、清原和博さんが入ってきたことで巨人を出て行きます。

「晩年は少し寂しいですけど日ハムで終えて、ドラゴンズに戻って来た。与那嶺さんとかと一緒です。巨人で利用価値がなくなった、巨人の中で選ばれなかった人は、みんな中日で何かをやる」

江川卓さんと巨人の一時代を築いた投手、西本聖さんもそうでした。1989年にトレードで中日入りすると20勝を挙げました。

「中日は、巨大な巨人というチームを無視して、自分たちで作ればいいんですけど、どうしても離れられないんですよ。
その要所要所に出てくるのが明治大学。川上憲伸は巨人に入団した高橋由伸のカウンターじゃないですか」

明治大学の川上憲伸さんと慶應義塾大学の高橋由伸さんは、同期で、東京六大学リーグ時代からライバル同士でした。

「今年、柳裕也が目覚めたんですけど、一個足りないのは、ジャイアンツにライバルがいないことだと思います。東京六大学のライバルが一人いたら違ったんじゃないのかな。でも今年、エースになってきた。やっぱり明治大学の選手なんですよね」

そこで大谷が来月のドラフトで中日が獲るべき選手として提案したのが、明治大学の投手でキャプテンの森下暢仁さんです。

カウンターには何かある?

「僕の妄想、空想ですよ。もし与田さんじゃなければ監督は誰か?一般的には立浪さんでしょうが、ジャイアンツにいた人で、ジャイアンツから捨てられて、今の中日に最も必要なのは…と考えると中畑清さんしかいないでしょう」

絶好調男、中畑さんとは意外な人選ですが、大谷の見つけた法則からすると的確な人選のようです。
中日の監督になるのは、最後は巨人から選ばれなかった人達。与那嶺さんしかり。落合さんしかり。星野さんは巨人に最初に振られています。

「もちろん与田監督はいいですよ。来年も応援するけど、今のドラゴンズは巨人に対するカウンター要素が少な過ぎじゃないの?って、こうやって歴史を見ると思いますね。それに中畑監督だったら、おもろいんちゃう?」

もちろんドラゴンズファンからすれば、「ありえねえよ」となるでしょうが、オフシーズンにはこんな妄想、空想もありでしょう。

「でも、やっぱり何かがあるんですよね。ジャイアンツに対するカウンターとして切磋琢磨しているドラゴンズって輝いてたんだよなぁ。歴史を紐解くと、そういうところはありますよっていうお話でした」という大谷ノブ彦でした。 
(尾関)
若狭敬一のスポ音
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2019年09月21日12時48分~抜粋

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