あれから一年。山田久志が語る、星野仙一さんとの最後の会話

若狭敬一のスポ音 / スポーツ

元中日ドラゴンズの燃える男・星野仙一さんが亡くなって一年が経ちました。

1月5日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』では、野球解説者でコーチとして星野ドラゴンズを支えた山田久志さんが、改めて星野さんを振り返りました。
星野さんと同じく岡山県出身の若狭敬一アナウンサーも、星野さんとの秘蔵エピソードを披露しました。

改めて分かる星野さんの大きさ

昨年の1月4日午前5時25分、星野仙一さんは70歳で亡くなりました。あれからもう1年です。
中日ドラゴンズでは星野監督・山田コーチの時代もありました。山田さんにとって星野さんは一体どんな存在だったのでしょう?

山田「この間もね、大阪で食事してる時に、星野さんの話が出たりしてね。みんなで語り合ったもんですけども、いろんな話が出てきますね。惜しい人でしたよね。

野球界にとってやっぱり財産でしたよね。これからの野球界のことを考えて、少年野球の活動までしてたからね。星野仙一って男の大きさがだんだんわかってきて、野球界では大事な人だったんだって、みんな改めて思ったんじゃないのかな。私もその一人だね」
 

訃報を知った瞬間

「朝ね、私についてる新聞記者から寝てる最中に電話が来て。まだ寝ぼけてたからピンと来なかったの」と山田さん。

山田「え?何?」
記者「星野さんが…」
山田「星野さんがどうしたんだ?」
記者「亡くなりました…」

山田「ええ?俺、この間、芦屋の道で会って喋ったばっかりだ。野球殿堂入りの祝賀会だって元気でやってたじゃないか!まあ、ちょっと疲れてるみたいなことはあったけども」
記者「いや、亡くなりました…」

と訃報を聞いた時の様子を生々しく再現する山田さん。
驚いて、しばらく身動きが取れなかったそうです。

山田「いま思えば、あれが最後の出会い」
 

星野さんとの最後の会話

2017年の12月中旬のこと。
芦屋の幹線道路を歩いていた山田さんに、交差点で止まった車から声をかけてくる人がいました。それが星野さんだったそうです。

山田「運転手がいて、私を見つけたんでしょう。窓を開けて『おお、山!』って。『仙さん、どこ行くの?』」

信号が青になったので、星野さんは渡ったところで車を止めたそうです。

山田「『仙さん、ちょっとお茶でも飲みながら喋らない?って言ったら『ちょっとなあ、行かなくちゃいけないとこあって。時間ないんだけども今度また連絡するわ』って。
『仙さん、元気そうだね』『大丈夫や、大丈夫や』って言いながら…。あれが最後。

それから2週間しか経ってない。バリバリじゃないけど元気だったんですよ。少し痩せてたのは痩せてたよね」

星野さんは糖尿だったそうです。ただ糖尿には気を付けていて食事は普通にしていたということです。

山田「痩せたり、少しまた戻ったりを繰り返してたんですよ。ちょっと痩せてたから、それだろうと思ってたの。まさかね。誰も信じられなかったと思いますよ」
 

オリンピックへの思い

山田「仙さんはね、東京オリンピックの野球の正式種目に結構力入れてたの。絶対しなくちゃいけないって熱く語っていた時期があった」

星野仙一さんは2008年の北京オリンピックで野球日本代表の監督を務めました。残念ながらメダルは獲得できませんでした。

山田「オリンピックの監督やった人って、何人かしかいないんだよ。結果はどうであれ、その中の一人。だからオリンピックに対する思い入れはあったと思いますよ」

星野さんは野球をオリンピックの正式種目にする活動にも携わっていたそうです。
 

オリンピックの野球はどうなる?

若狭「来年の東京オリンピックでは野球が復活して、期待が高まりますもんね」

山田「皆さんそうでしょう。私も東南アジアとか回って野球を何とか普及させようっていう運動してます。でも実は、今年パリで野球が正式種目になるかどうかが決まるの。
君たちはそういう勉強してないな?私らは必死になってやってんのよ」

東京の次のオリンピック開催地はパリです。東京オリンピックで野球が復活したと言っても、実は開催都市提案による追加種目にすぎません。
東京以降、正式種目として続くかどうかは未定なのです。

山田「私が日本の人に言いたいのは、東京オリンピックで野球が正式種目になって『バンザーイ、金メダル獲るために頑張れ』だけじゃないの。
『繋げるために運動しなくちゃいけない』って声を大にして言ってんだけど、みんな東京オリンピックのことしか言わないんですよ」
 

野球を次に繋げよう

「なんで私がそんなこと言うかって言ったらね、パリでこの野球が正式種目で繋がったら、次、ロサンゼルスなんです。パリで繋がったらロスアンゼルスは必ず野球が正式種目になるんです」

こう断言する山田さん。
アメリカは野球の国なので当然やりたいのですが、パリ大会で途切れてしまったら正式種目としての復活は難しいそうです。

「皆さんは東京オリンピックばかり言ってるけど、私たちは今必死でそういうことをやってって声を大きくして言っていい?」と熱くなる山田さん。「どうぞ、どうぞ」と促す若狭。

山田「皆さん、野球少年のためにもオリンピックで正式種目として野球がずっと続くように、そういう運動に力を貸して欲しい。東京オリンピックで金メダルだと騒ぐだけじゃなくて。繋げましょう!」

星野仙一さんも同じ活動をしていたそうです。
 

若狭の思い出

今度は若狭アナが、星野さんとのエピソードを披露します。

若狭「私は岡山県倉敷市出身ですから星野仙一さんと同郷なんですよね。CBCテレビ『サンデードラゴンズ』に、星野仙一さんが年に1度ではありますが、お越しいただいた時はすごく緊張しました」

星野さんとの会話を再現します。

星野「おい、お前は岡山のどこだ」
若狭「倉敷です」
星野「倉敷のどこだ」
若狭「玉島です」
星野「玉島は倉敷に入れてやったようなもんだよ。アッハッハッハ」

「このやりとり、毎回してたんですけれども、本当に緊張感とともに同じ故郷の話をして、心温まる時間でしたね」

しみじみ振り返る若狭敬一でした。 
(尾関)
 
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2019年01月05日13時16分~抜粋

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