若狭敬一のスポ音

中日引退の野本圭さんが高校からプロ入りしなかった理由

今シーズン限りで中日ドラゴンズを引退した野本圭さんが、12月22日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』に出演しました。

パーソナリティの若狭敬一アナウンサーとは同じ岡山県出身の野本さん、自身の野球人生をざっくばらんに語りました。

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大学進学は監督判断

野本さんが「プロ野球選手になりたい」と思い始めたのは小学校高学年頃。
その後岡山南高校から駒澤大学、日本通運を経て、2008年にドラフト1位でドラゴンズに入団。外野手として、また2015年は内野手としても活躍しました。

実は引退して高校時代の監督に挨拶に行った時、あることを打ち明けられたそうです。

野本「結構スカウトが来ていたそうですが、僕もまだまだぺーペーだったし、もう一回、大学で野球をやったほうがいいんじゃないかっていう監督の判断だったそうです。でも結果、それが良かったんじゃないかなと思います」
 

社会人で経験したもの

駒沢大学の時はもちろんプロからの誘いがあったそうですが…。

野本「僕も二十歳を超えましたし、いろんな方と接触する機会もありました。自分を評価してくれる話もありました。その時は、一社会人として、部活じゃなく生活をしながら野球をしてみなさい、ということで社会人に行かせてもらいました」

「『部活じゃなく、生活をしてみなさい』…良いフレーズが出て来ましたね」と噛みしめるように言う若狭アナ。自身も岡山の野球少年でした。

社会人として過ごした日本通運での2年間については?

野本「もちろん仕事もさせていただきましたし、野球を自分の仕事として考えるようになったと思いますね」
 

真っ白になった最後の打席

リスナーから質問が寄せられました。

「ナゴヤドーム引退試合(9月29日の阪神戦)での最終打席はどんな気持ちで立ちましたか?」(Aさん)

代打として立った最後の打席では、阪神・藤浪投手と対戦して惜しくも一ゴロでした。

野本「すごい緊張しましたし、終わった後は頭の中が真っ白になった感じですかね」

最後のヘッドスライディングはとっさに身体が動いたそうです。

スタンドではファンが野本さんの背番号である31と書かれた白いボードを掲げていました。

「アウトになって、スタンドを見ると、真っ白の野本選手へのボード、31番。真っ白になってた。あの時どうでした?」と聞く若狭。

野本「あれを配っていただいて、中日ドラゴンズには本当に感謝しています。登場する時からもう本当に真っ白になってましたし、本当に幸せだったなと思いました」
 

平田選手の涙

先週この番組にゲスト出演した平田良介選手が、野本選手の次のバッターでした。
平田選手はネクストバッターズサークルにいた時から泣いていたそうです。

野本「僕も知らなかったですけど、後々聞いて胸に来るものがありました。
平田とは入った当初、外野で一緒にやってましたし、本当にきつい時から一緒にやってたんで、普段はライバル意識があったのかもしんないです。
後でビデオで観た時に、ああいう姿が映ってたのはすごい嬉しかったですね」

最後はありがとう

野本選手の引退試合は浅尾拓也投手とともに行われました。
浅尾さんとは同じ歳という野本さん、最後の彼のマウンドをどういう気持ちで見ていたんでしょうか?

野本「『ホンマに引退するんかな』と思いながら見てたのもありますし、あんだけの功労者と僕が一緒の日にさせて頂いたっていう申し訳なさもありました。
拓は本当に人柄が良くて『一緒にできるんだったらやろうよ』って言ってくれたんです。

引退試合をさせていただけるとは思ってなかったんです。最後に一打席、立たせて頂けただけで、すごく嬉しかったです。その後、セレモニーやスピーチまであって、やっぱり、そんな選手じゃないんで、なんか申し訳ないなって思ってましたね」

最後の登場曲は、いきものがかりの「ありがとう」でした、その理由は?

野本「ファンの皆さんにも、自分の家族、親にも、感謝の気持ちがなかなか言葉では言えなかったんで、ベタですけど音楽で『ありがとう』っていう言葉にさせていただきました」

野本さんは今後、中国四国担当のスカウトとして中日ドラゴンズに貢献していきます。 (尾関)
 
若狭敬一のスポ音
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2018年12月22日15時06分~抜粋

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