2月17日『若狭敬一のスポ音』は、阪急ブレーブスの投手であり中日ドラゴンズの監督も務め、現在はCBC野球解説者である山田久志さんが結婚話を披露しました。週刊誌にすっぱ抜かれそうになるなどの裏話に若狭敬一も興味津々でした。
山田久志の馴れ初め
「入団2年目。3月の姫路のオープン戦。よー覚えてる。さすがに女性に関してはよー覚えてるんだよ。くくくく」
笑う山田久志さん。
「あの時はまだ指名打者制じゃなかったからね。バッターボックスに入って打ったのよ。そしたら、めちゃくちゃ詰まって、右手の親指をグチャッてやっっちゃって」冷やしても痛くて、ボールが握れず、そのまま交代。湿布をして、当時、住んでいた西宮の寮に帰ったそうです。
その日、先輩と食事の約束をしていた山田さんは、包帯をしたまま出かけました。
「そこで一緒になった。僕が包帯して冷やしてるじゃないですか。それを不思議に思ったらしいのよ」
野球がわからない「山田さん」
「それがね、うちの嫁さんは、苗字が同じ山田なのよ。ややこしいけど」という山田さんに「そんなミラクルあるんですか?」と若狭。
「あるんだよ、こういうのが。まあ、そういうことですよ」
奥さんは野球が全然わからなかったそうです。
「たまに先輩の招待で友だちと野球見に来てたらしいのよ。でも野球のルールなんて、まったくわからないから。ただ招待されてきて、勝った負けたぐらいしかわからなくて。そういう感じだったらしいんですよ」
奥さんの元へダッシュ
出会いは2年目の春。この時、山田さんはまだ寮生でした。
それから加藤秀司さんといろいろやらかして、寮長に出て行けと言われ、3年目の春のキャンプの前で退寮しました。
一人暮らしをしたものの、料理のできない山田さんは、奥さんと共同生活を始めます。
「実家が大阪にビルを持ってて、そこのレストランを経営してたからね。そこにダッシュで転がり込んだ感じ。ここだ、これしかないって」
となると結婚は3年目の頃ですか?
「そうよ。22歳」
結婚に至った経緯が、野球選手ならでは?一般人とは違います。
バレていた同棲
「その時に、成績がガンガン、ガンガン上がっていくんですよ」
山田さんは2年目からも二桁。2年目は10勝、3年目22勝、4年目20勝しています。
「投げれば勝ち、投げれば勝ちなの。これは、やっぱり嫁さんのおかげやと思うやん?今だと当然、自分でも。
その時は、そう思わなくて俺の力だと思いながらやってたんだけども。すっごい気持ちがいいわけですよ」
成績が上がると当然、周りが注目し始め、マスコミもプライベートに探りを入れてきました。
山田「それで、バレたの」
若狭「どうやら同棲してるらしいぞ、みたいな」
「そうそう。おっしゃる通り。あれ、5月だったかな、6月だったかな。
当時は、我々はマスコミに可愛がってもらってたじゃないですか。で、日刊スポーツの担当記者が、山田、お前ぼちぼちみんなにバレて書かれるぞ、ってきたわけ。何の話ですか?ととぼけてたんだけど、お前こうだろこうだろって、もう、みんなわかってたの」
阪急はすっぱ抜かれる前に公表
すっかり記者たちにバレていることを知った山田さんは球団の偉い人に相談に行きます。
「それで、新聞記者を集めて、どうなんだ?山田のことみんな知ってるのか?って聞いたらしいのよ。そうすると、もう、みんな知ってますと。実は週刊誌の方も知ってます。となった。
当時は、週刊平凡とか週刊明星とかあって、今のような文春、新潮とか、ああいうイヤらしいのじゃないの。選手とか芸能人を持ち上げる、そういう週刊誌だったわけ。
そこに、バレそうだっていうことで、球団が、じゃあ今、一斉に公表しようということになったの」
「そうなんですか?すごい」と驚く若狭。
「他の一社がすっぱ抜いたらいかんからっていうことで、これがやっぱり阪急なのよ」
週刊誌にすっぱ抜かれる前に公表。そして結婚に至りました。裏事情と言うのはいろいろあるんですねえ。
昔の週刊誌に思いを馳せる?
「山田さんの馴れ初めはまさかの展開。とぼけていたんですけれども、バレる。ただ、いいじゃないですか。バレることがハッピーなことですから。
そんなに文春砲どんどんどんどん撃って、どうします?法を犯すようなことはいけませんよ。けれども、ご夫婦の問題ですから、基本的にはご夫婦で解決すればいいのではないかなと思っております」
こう締めた若狭アナ。メディアとの関係が今ほどギスギスしていない時期のちょっといい話でした。
(尾関)
若狭敬一のスポ音
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2018年02月17日13時14分~抜粋