♪ 柳沢彩美のHAPPYミュージック ♪
※洋楽大好きな 柳沢アナウンサーが、洋楽の苦手な若狭さんに毎週1曲・新旧問わず 曲を紹介。そして、「どこかできいたこはある。でも、タイトルやグループ名がわからない。」と言う方の疑問を解消しようというコーナー
今回ご紹介の曲は・・・日本の映画に影響を受けてこの楽曲を作ったといわれている曲をご紹介します。
「 クイーンシー・ジョーンズ / 愛のコリーダ (1981年リリース)」でした
クイーンシー・ジョーンズ は、アメリカ出身の83歳・音楽プロデューサー
洋楽界の重鎮と言われています。
「愛のコリーダ」を作ったプロデューサー
歌っている人は別のかたですが、この楽曲を購入しようとすると
クインシー・ジョーンズの名前で楽曲を発表しているという珍しい曲
それくらいクインシー・ジョーンズさんはとても有名な方です
マイケル・ジャクソンのプロデューサーでもあり
マイケル・ジャクソンの"世界でもっとも売れたアルバムとしてギネス記録"をとった
アルバム「スリラー」をプロデュースしたのがクインシーさんです。
二人の出会いは、マイケルと立ち話をしていた時
「僕に合うプロデューサーで誰かいい人いませんか?」と話をした時に
「僕じゃ駄目かな?」と言ってプロデュースするという仲にが始まったそうです。
洋楽界の重鎮と言われています。
「愛のコリーダ」を作ったプロデューサー
歌っている人は別のかたですが、この楽曲を購入しようとすると
クインシー・ジョーンズの名前で楽曲を発表しているという珍しい曲
それくらいクインシー・ジョーンズさんはとても有名な方です
マイケル・ジャクソンのプロデューサーでもあり
マイケル・ジャクソンの"世界でもっとも売れたアルバムとしてギネス記録"をとった
アルバム「スリラー」をプロデュースしたのがクインシーさんです。
二人の出会いは、マイケルと立ち話をしていた時
「僕に合うプロデューサーで誰かいい人いませんか?」と話をした時に
「僕じゃ駄目かな?」と言ってプロデュースするという仲にが始まったそうです。
そして、実は日本の作曲家・久石譲さんの名前は本名ではなくアーティスト名で
「音楽界で生き残っていくために、本名じゃなく違う名前を考えた方が良い」と
どんな名前にしようかと思ったら
"クインシー・ジョーンズにならって、そういう感じにしてみたら?"と言うことで、
久々の久・ストーン石・譲渡の譲・・・でクインシー・ジョーンズ・・・
と、ここから来てるそうです。
本当に世界に色んな影響を与えている人です。
どんな名前にしようかと思ったら
"クインシー・ジョーンズにならって、そういう感じにしてみたら?"と言うことで、
久々の久・ストーン石・譲渡の譲・・・でクインシー・ジョーンズ・・・
と、ここから来てるそうです。
本当に世界に色んな影響を与えている人です。
今回の曲 『愛のコリーダ』 は
1981年の当時の日本はディスコブームで凄く流行った曲です。
日本のオリコン洋楽チャートで12週連続1位を獲得
そして、日本の映画に影響を受けてというのは
大島渚監督の映画「愛のコリーダ」
※ 阿部定事件を題材にし、男女の愛と憎しみを恐ろしいほどに描いたという映画で
当時公開が制限されていた劇場もありました ※
この映画「愛のコリーダ」にとても影響されて作った楽曲で、全編英語の歌詞ですが、
サビの部分は実際に『愛のコリーダ』と日本語で歌っています。
1981年の当時の日本はディスコブームで凄く流行った曲です。
日本のオリコン洋楽チャートで12週連続1位を獲得
そして、日本の映画に影響を受けてというのは
大島渚監督の映画「愛のコリーダ」
※ 阿部定事件を題材にし、男女の愛と憎しみを恐ろしいほどに描いたという映画で
当時公開が制限されていた劇場もありました ※
この映画「愛のコリーダ」にとても影響されて作った楽曲で、全編英語の歌詞ですが、
サビの部分は実際に『愛のコリーダ』と日本語で歌っています。
他歌詞の内容も、映画と似ているところがあります。
でも、曲調からすると凄く楽しくディスコで踊るという、
実は歌詞の内容は、そういう愛と憎しみを書いたという楽曲です。
実は歌詞の内容は、そういう愛と憎しみを書いたという楽曲です。
柳沢さん 「映画『愛のコリーダ』って知らなかったんですが、」
若狭さん「私も知りません。見たことないです。若い子が見られない映画だった気がします。」
若狭さん「私も知りません。見たことないです。若い子が見られない映画だった気がします。」
ユニバーサル ミュージック ジャパン 公式サイト → http://www.universal-music.co.jp/quincy-jones/
"柳沢彩美のHAPPYミュージック" では、1曲ずつ洋楽の名曲を紹介していきます。
柳沢アナウンサーへのお便りもお待ちしております
若狭さん「 聴いたことありました!」