大石邦彦のNOW ON SHARE!

東日本大震災から12年。被災地の元市長が伝えたいこと

今年で東日本大震災の発生から12年。
津波で大きな被害を受けた自治体の元市長が、当時の痛切な経験を語りました。

3月11日放送の『大石邦彦のNOW ON SHARE!』では、大石邦彦アナウンサーが被災地の変遷や、被災者の思いを伝えます。

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写真を探していた被災者の姿

各地に大きな被害をもたらした東日本大震災から、ちょうど12年が経ちました。

当時、東北地方太平洋沖地震を発端に、余震、津波、福島第一原子力発電所事故と次から次へ災害が起こり、日本中が混乱しました。
災害関連死を含めると、死者19759名、行方不明者2553名、怪我をされた方が6242名。
戦後最悪の自然災害と言われています。

大石「今回は被災地のリアルな今をリポートいたします」

ほぼ毎年のように岩手県の陸前高田市を取材で訪れている大石。
今年で13回目の訪問になります。
震災当時、陸前高田市は人口2万4千人余りの街でしたが、津波によって中心部が壊滅的な被害を受けました。

大石「行った当時のことを今でも鮮明に覚えています」

初めて訪れた現地は、瓦礫の山。
信号は停止し、電気・ガス・水道が使えず、トイレも仮設トイレでした。

すっかり色を失った街で大石の印象に強く残ったのは、地面を見つめてアルバムを探していた被災者の方々。
津波で家が流され、それ以前の写真をすべて失ったため、何枚か残っていないかと探していたのです。

復興計画は終了したものの…

そんななか、町づくりが始まります。
高さ5メートルの堤防を軽々と乗り越えてきた津波の苦い経験から、10メートル以上の堤防が築かれました。

2011年に始まった復興計画は、昨年ほぼ終了します。
市庁舎や博物館などの箱物がようやく出来上がり、住宅地が整備されましたが…

大石「市の中心部、空き地が多いんですよ。人が戻ってきていないんです」

他の市町村に避難した人々が生活拠点を移したため、空洞化が起きていました。
現在の人口は大きく減少し、1万7千人となっています。

陸前高田市では、震災で1700人以上の方が亡くなったり、行方がわからなくなりました。
元市長の戸羽太さんも津波で奥さんを失っています。
大石は今回初めて、戸羽さんにプライベートな取材を試みました。

戸羽さんの初当選は2011年2月。市長になってわずか1ヶ月後に震災に見舞われたことになります。
奇しくも、震災当日は午後2時40分頃に奥さんに電話し、家族団らんの食事の約束をしていたそうです。
地震の発生時刻は午後2時46分。

大石「数分後に。数分後ですよ?」

いま私たちができること

市長の妻でなければ彼女は生きていたはず、と無念がる戸羽さん。
市長としての責任を感じてすぐに避難せず、近所の人に避難を呼びかけていたからです。

なんとなく帰ってくるような気がしたため、捜索願も出していなかった戸羽さん。
後に小学校高学年(当時)の息子さんが捜索願を出していたことが発覚します。
「お父さんは忙しいから」と気遣ってくれたそうです。

大石「こういう経験をされたのが戸羽さんだったんですね」

遠く離れた被災地の経験から学び、私たちに今できるのはどんなことでしょうか?

戸羽さんが人々に広く伝えたい教訓は「後悔を少なくすること」。
今からできることは「コツコツやること」だと語ります。
「津波が来たらこうしようよ」など、普段から心積もりをしておけば、突然襲ってくる天災に対しても立ち向かえます。

大石「被災地からの教訓だと思います。自分や大切な人を守ることにつながります」

「ぜひ家族で話し合ってみてください」と呼びかける大石でした。
(nachtm)
大石邦彦のNOW ON SHARE!
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2023年03月11日11時45分~抜粋

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