大石邦彦のNOW ON SHARE!

1兆円もの投資は…国産スペースジェット機、15年に渡る事業から撤退

2月6日、三菱重工業が15年続いた国産スペースジェット機事業から撤退する方針を固めたと報じられました。
この開発は名古屋市に近い愛知県豊山町などを拠点に進められていました。

11日放送の『大石邦彦のNOW ON SHARE!』では、大石邦彦アナウンサーがその理由と影響について解説します。

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納入予定の延期は6回に

三菱重工業が「スペースジェット」(旧MRJ)の事業に投じてきた開発費はおよそ1兆円。

6度に及ぶ納入予定の延期など迷走が続き、事実上の凍結状態が続いていました。
開発に15年の歳月を費やし、さらに数千億円の費用が必要となったため、採算が見込めないと判断されたようです。

大石「このニュースは本当に残念でしたね…。あの”翼”はいろんな方の期待を背負っていた」

国産初の民間ジェット機(MRJ)の開発がスタートしたのは2008年。
初号機の納入に遅れるものの、2015年には第一号試験機が、地元・名古屋空港から飛び立ちました。

大石「ヘリコプターからの映像を駆使して、その様子をしっかり捉えたんですよね」

白い翼が上昇気流に乗って青空を切り開いていく様子に夢をみていた、と懐かしむ大石。

2千人規模のエンジニアが数十人に

2019年にはMRJの名前が「スペースジェット」に変更され、イメージを刷新した頃から雲行きが怪しくなります。
ブランドになっていたはずの名前をあっさり捨てることに、やや違和感を覚えた大石。

大石「厳しいのかなと、うすうす感じていました」

また、ピーク時の工場には2000人ほどいたエンジニアが、最近では数十人体制に縮小されていたそうです。

大型ジェット機といえば、有名なのは欧州のエアバスとアメリカのボーイング。
そこで目をつけたのが、MRJの由来でもある「リージョナルジェット」(100席未満の小型ジェット旅客機)でした。

中型ジェット機市場もすでに、カナダのボンバルディア、ブラジルのエンブラエル、ロシア、中国と群雄割拠でしたが…

大石「ここであれば勝てるんじゃないか、と参入したわけなんですね」

開発された機体は燃費性能が高く、空気抵抗が少ないうえ客室も広く、ラグジュアリーな空間だったと振り返ります。

厳しい審査基準に対応できず

では、どうして中止に追い込まれてしまったのでしょうか?
これは、アメリカの連邦航空局が出している「型式証明」が取れなかったことに尽きると大石。

大石「アメリカの厳しい審査基準に対応できなかった」

設計を何度も変更したため、開発費は嵩む一方だったのです。

そして今回の頓挫の背景には、技術伝承の問題があります。
国産機(YS-11)の製造をやめて以来、実に半世紀の月日が流れていたのです。

大石「それだけ時が流れて、旅客機を作るという経験が不足していた」

「型式証明」が取れないままでは、お客さんを乗せて運行することはできません。
長年培われてきた技術の継承に失敗し、国際競争に破れる構図は飛行機業界も例外ではなかったようです。

町工場の期待に応えられず

惜しまれる理由には、自動車産業の不透明な先行きもあります。

自動車の部品はおよそ3万点なのに対し、飛行機の部品は10万点。
自動車に頼りがちな”一本足打法”を脱却するチャンスでもあったのです。

リニア新幹線とともに、日本の新たな”ものづくり”の夢を託されていた国産ジェット機。
中小の町工場の期待も背負っていただけに残念で仕方ない、と大石は肩を落とします。

何より、今回の旅客機開発は15年の年月と多額の税金を投じ、国を挙げて行われています。
見通しの甘さが招いた事業撤退について、詳しい検証が今後待たれるところです。

いずれ開発が再開できる日が来ることを願って止まない大石でした。
(nachtm)
 
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2023年02月11日11時44分~抜粋

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