石塚元章 ニュースマン!!

ソフトバンク東浜投手がノーヒットノーラン達成!沖縄の高校野球史を紐解く

福岡ソフトバンクホークスの東浜巨(なお)投手が、5月11日の西武戦でノーヒットノーランを達成しました。これは沖縄出身の投手としては初の快挙です。

5月14日放送の『石塚元章 ニュースマン!!』では、沖縄尚学高校のエースとしてセンバツの優勝投手となった東浜投手の話題から、沖縄と高校野球の歴史について紐解きました。

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沖縄尚学を2度目の優勝に導く

福岡PayPayドームの西武戦で、プロ野球史上84人目、95度目のノーヒットノーランを達成した東浜投手。打者27人、わずか97球での偉業達成となりました。

東浜投手は2008年のセンバツで沖縄尚学高校を優勝に導いた元甲子園球児。沖縄尚学高校が優勝したのはこの時が2度目でした。

1度目は1999年4月。茨城の水戸商業を7対2で下し、沖縄尚学は県勢初となる甲子園優勝を勝ち取りました。石塚元章はこの時に起こった感動のシーンを回想します。

相手チームまで繋がる感動のウェーブ

決勝戦では、関西地方在住の沖縄県人会のメンバーが1塁側で熱の入った応援をしていました。優勝インタビューの直後、その1塁側でウェーブが巻き起こったのです。

ウェーブとは、観客が列ごとに空中に向かって手を広げ、立ち上がってから座る動作の連鎖のこと。これにより、スタンド全体が波打って見えるためウェーブと呼ばれています。

1塁側のアルプスからスタートしたこのウェーブは、なんと水戸商業の応援団がいる3塁側でも途切れず、スタジアムを何周もしたのです。

こんな感動的なエピソードの一方、沖縄と甲子園にはさらに語るべき歴史があります。
それは1958年。首里高校が沖縄の高校として初めて甲子園に出場した時の話です。

海に棄てられた「甲子園の土」

沖縄が本土に復帰してから5月15日で50年を迎えました。首里高校が甲子園に出場した1958年はもちろん本土復帰前です。

1回戦で福井の強豪・敦賀高校とぶつかり惜しくも敗退した首里高校の球児たちは、他チーム同様、甲子園の土を持ち帰りました。

しかし、船で沖縄に戻ってきた彼らを待っていたのは、あまりにも冷たい仕打ちだったのです。

アメリカの法律では甲子園の土はあくまでも「外国の土」。植物検疫法に抵触するため、沖縄に持ち込むことは禁止でした。

球児たちが大事に持ち帰った甲子園の土は那覇港で没収され、そのまま海に棄てられてしまったのです。

スポーツから見える沖縄の歴史

「こうやって遡っていくと、東浜投手の大活躍から沖縄という軸で野球ひとつを取っても、ほんの一面かもしれないけど、沖縄の歴史がスポーツから見えてくるものもあるよね、ということです」と解説する石塚。

ちなみに東浜投手の次の登板は18日。沖縄セルラースタジアム那覇での西武戦が予定されています。

「郷里で投げるという予定になっているようです。これも注目です」と、東浜投手の故郷での活躍に期待を寄せる石塚でした。
(minto)
石塚元章 ニュースマン!!
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2022年05月14日07時34分~抜粋

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