石塚元章 ニュースマン!!

中年の星・山本昌、野球殿堂入りで亡き恩人に感謝のコメント

今年の野球殿堂入りが発表され、プロ野球歴代2位の通算286セーブを挙げた現在ヤクルト監督の高津臣吾さんと、中日一筋で50歳までプレーし、通算219勝を挙げた山本昌さんが選ばれました。

山本さんは50歳で引退するまで、登板・勝利・ノーヒットノーランなど数々の最年長記録を樹立し、「中年の星」として話題となりました。

1月15日放送の『石塚元章 ニュースマン!!』では、殿堂入りのスピーチで山本さんが語った恩人について取り上げました。

[この番組の画像一覧を見る]

遅咲き・山本昌の大恩人

「小学校、中学校は野球チームの補欠だったんです。プロ入りしてからも、初勝利まで5年かかりました」と、山本さんは遅咲きの自分について語りました。

「ドラフトも5位。決して最初からブワーっと輝いていた選手では、申し訳ないけどなかった。野球を知らない人でも知っている大谷翔平選手とは、言ってみれば真逆」と、解説する石塚。

プロとして、なかなか芽が出なかった山本さん。「クビかもしれない、自分のプロ野球人生は終わりかもしれない」と思った時に、大リーグ・ドジャースに野球留学をします。

山本さんは、スピーチの中でこの野球留学中に出会った大恩人・アイク生原(生原昭宏)さんについて語っています。

恩人として星野仙一さん、高木守道さん、山田久志さん、落合博満さんの名前も挙げていますが、山本さんはアイクさんの名前を一番に挙げました。
 

用具係からオーナー補佐に

アイクさんは、早稲田大学を卒業後、社会人野球を経て、亜細亜大学硬式野球部監督に就任。その後アメリカに向かい、ロサンゼルス・ドジャースの職員として勤務しました。

マイナーチームの用具係からスタートして、最後はオーナー補佐のポジションにまで登り詰めた人です。

「生原昭宏さんと出会ったことが、本当に私を大きく変えていただいたと思います。私が1勝するだけで大変喜んでいただいたアイクさんだったので、もしこのような殿堂に入らせていただくという報告ができたら、どれだけ喜んでいただけたかなと。本当に残念に思います」

山本さんは、アイクさんへの感謝の想いをこのように語りました。
 

2002年野球殿堂入り

「アイク生原さんがすごいなっていうのがわかるでしょ」と尋ねる石塚に、「本当に野球に関わっていたいと思わなきゃ、行かないですもんね」と感服した様子の渡辺美香アナウンサー。

石塚「英語も下手だったと回顧されてますけど。ちょっとのつもりで行ったら、二十何年もずっとドジャースにいたんです」
渡辺「すごい…」
石塚「しかも野球をするわけじゃなくて、職員として」

日米間の交流に尽くし、野球のオリンピック正式競技採用にも尽力されるなど、さまざまな活動で力を発揮されたアイクさんは、2002年に野球殿堂に名前を連ねました。

1992年、アイクさんは55歳という若さで亡くなられました。

現在山本さんは56歳。大恩人のアイクさんの年齢を追い越し、同じく殿堂入りを果たしたのです。
(minto)
 
石塚元章 ニュースマン!!
この記事をで聴く

2022年01月15日07時35分~抜粋

関連記事

あなたにオススメ

番組最新情報