石塚元章 ニュースマン!!

家康も食べていた?研究の第一人者が語る「わさびの歴史」

8月14日の『石塚元章 ニュースマン!! 』「21世紀の賢者たち」のコーナーでは、わさび研究の第一人者・岐阜大学 応用生物科学部 植物遺伝育種学研究室 准教授 山根京子さんにお話を伺いました。

2006年からわさびの研究を手掛けてきた山根さん。わさびの起源と日本に根付いた歴史についての研究をまとめた著書『わさびの日本史』が、先日、第12回 辻静雄食文化賞を受賞されました。

日本人にとってなじみ深いわさび。その知られざる歴史に迫ります。

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残された「謎」

「いつ頃から日本人はわさびを栽培して、どんな食べ方をしていたんですか?」と尋ねる石塚元章に、「今みたいに水で太らせるという栽培は、大体400~500年前から」と山根先生。

しかし、それよりもかなり前から日本人は「栽培に似た行為」を行っていて、平安時代にはすでにわさびを食べものとして認識していたそうです。

一番初めに書物に登場する食べ方は、わさびを薬味として加える「寒汁」。
鎌倉時代の終わり頃には、お刺身に付けて食べていた記録もあるそうです。

ただ今のように「おろす」という行為がいつから始まったのかということは、山根先生に「まだ残されている謎」なんだとか。
 

あの家康が食べていないわけがない

わさびが本格的に料理書に出てくるのは江戸時代以降。

徳川家康が太平の世を築いたことで、人々に食を楽しむ余裕が出てきたことがきっかけだといいます。

山根先生いわく「1600年代の前半と後半では、わさびの使用頻度がまるで変わってくる。そのあたりが大きなターニングポイントになった」とのこと。

「家康さんはわさび大好きだったんですかね?」という石塚の質問に、「多分」と山根先生。

山根先生が驚いたことは、家康が晩年をすごした静岡県の駿府城のすぐ近くを流れる安倍川の上流が「わさび栽培の発祥の地」といわれているということ。

「珍しいものがあったら、あの家康が食べていないわけがないと思う」と山根先生は考察します。

とはいえ、徳川家の人々が食べていたという記録は残っているものの、家康が食べていたという直接的な記録は残っていないんだそう。
 

若者の「わさび離れ」を危惧

わさびの行く末に危惧を抱いているという山根先生。

お寿司やお刺身、そしてお蕎麦に“つきもの”とされているわさびですが、この習慣がいつまで続くのか心配だというのです。

その原因は、若い世代がわさびを食べなくなったということにあります。

「わさびを経験しないまま、生涯をまっとうすることができる世の中になりつつあることが心配」と山根先生。

大学でリサーチをすると、わさび嫌いの学生がどんどん増えてきているといいます。

わさびを食べない人が増えると、農家が栽培をやめてしまいます。

しかし、わさびは種で品種を保存できないため、「いざ作ろう!」となったときには、何百年前の野生から時代を繰り返さないといけなくなるのです。

山根先生は「まずは若い人たちに魅力を知っていただきたい」と思いを語りました。
 

わさびソフト、わさび飯

「山根先生が思う、一番おいしいわさびの食べ方は?」と尋ねる石塚元章に、「静岡でしか食べられない“わさびソフトクリーム”が本当に大好き」と山根先生。

普段、家で食べられるものでは「わさび飯」がイチオシだといいます。

ご飯の上に、すりおろしたわさびとかつおぶしを乗せて、しょうゆをかけて食べるわさび飯。

「これが本当に、本当においしいです(笑)。それだけで何もいらないくらいのごちそうになりますので、やっていただきたいです」と、おすすめしてくれました。
 

わさび入りお菓子に泣き笑い

山根先生は、Instagramで「わさび入りのお菓子」を、コメント付きでたくさん紹介されています。

「だから全然痩せられないんですよ。うれしいんですけど『また出てしまった……』っていう感じで。すぐ胃袋に入っていくので。全然ダイエットができないです」

わさび入りのお菓子の新商品が出ることはうれしいけれど、ダイエットにとっては敵。2つの気持ちで揺れ動く山根先生。

「見つけるたびに、うれしいけど複雑な気持ち」になってしまうということでした。
(minto)
 
石塚元章 ニュースマン!!
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2021年08月14日08時21分~抜粋

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