7月31日放送の『石塚元章 ニュースマン!!』「21世紀の賢者たち」のコーナーでは、フリージャーナリスト・池上彰さんのインタビューを放送しました。
NHKの退局を考えるようになった衝撃的な出来事、そして大学教授の道を歩むようになったきっかけについて語る池上さんです。
池上彰、NHK退職のきっかけとなった「衝撃的な言葉」を語る
解説委員になれなかった
池上さんは慶応義塾大学 経済学部を卒業後、1973年NHKに入局。
報道局記者を歴任し、1994年からNHK『週刊こどもニュース』の初代お父さん役を11年間続けた後、2005年にNHKを退職しました。
出版、講演、放送、大学教授など華々しく活躍中で、取材力に基づいた鋭く分かりやすい解説にも定評があります。
「僕ら世代は、池上さんは『こどもニュースのお父さん』というイメージがある」と切り出した石塚。
「当時は、こういう道を歩むというのは考えてなかったのでは?」と尋ねる石塚に、池上さんは「将来的には、NHKの解説委員になりたいと思っていたんですよ」と教えてくれました。
実は「解説委員になれなかったことが、NHKをやめるきっかけになった」といいます。
報道局記者を歴任し、1994年からNHK『週刊こどもニュース』の初代お父さん役を11年間続けた後、2005年にNHKを退職しました。
出版、講演、放送、大学教授など華々しく活躍中で、取材力に基づいた鋭く分かりやすい解説にも定評があります。
「僕ら世代は、池上さんは『こどもニュースのお父さん』というイメージがある」と切り出した石塚。
「当時は、こういう道を歩むというのは考えてなかったのでは?」と尋ねる石塚に、池上さんは「将来的には、NHKの解説委員になりたいと思っていたんですよ」と教えてくれました。
実は「解説委員になれなかったことが、NHKをやめるきっかけになった」といいます。
転機は解説委員長の言葉
「記者としてずっと仕事をしていて、生涯ジャーナリストでありたい」と思っていたという池上さん。
40歳を過ぎると「デスク」という形で内勤になり取材ができなくなってしまいますが、解説委員は定年まで取材をすることができます。
「解説委員になりたい」と希望を出し続けていた池上さんに、転機が訪れます。
『こどもニュース』を担当していた当時、池上さんは廊下で解説委員長に呼び止められ、「お前、解説委員になりたいと思ってるだろうけど、なれないからな」と言われてしまったというのです。
40歳を過ぎると「デスク」という形で内勤になり取材ができなくなってしまいますが、解説委員は定年まで取材をすることができます。
「解説委員になりたい」と希望を出し続けていた池上さんに、転機が訪れます。
『こどもニュース』を担当していた当時、池上さんは廊下で解説委員長に呼び止められ、「お前、解説委員になりたいと思ってるだろうけど、なれないからな」と言われてしまったというのです。
「この会社に将来はないな」
「お前は『こどもニュース』でいろいろなことを解説している。解説委員は専門分野を持たなければいけない。お前に専門分野はないだろう、だからダメだ」
この衝撃的な言葉に「もう、この会社に将来はないな」と思ったという池上さん。
その一方で「確かに専門はないけれど、『ニュースを解説する』という仕事ができるんじゃないか。そういう仕事をしている人は世の中にあまりいないんじゃないか。ニッチに生きていけるんじゃないか」と気づいたといいます。
この衝撃的な言葉に「もう、この会社に将来はないな」と思ったという池上さん。
その一方で「確かに専門はないけれど、『ニュースを解説する』という仕事ができるんじゃないか。そういう仕事をしている人は世の中にあまりいないんじゃないか。ニッチに生きていけるんじゃないか」と気づいたといいます。
還暦を期に「社会に恩返し」
池上さんは、早期退職制度を利用して54歳でNHKを退職しました。
中東などの取材に行っていたところ、民放から声がかかるようになったのが、今の池上さんのスタートとなりました。
そして、もう1つのきっかけ。それは還暦を迎えたことでした。
「還暦で人生一回りした」と感じた池上さん。
「ここまで私が生きてこられたのは、もちろん親のおかげでもあるけど、社会のおかげではないかと。私が高等教育を受けられたのも社会のおかげ。ここからは社会に還元する、恩返しができないかな」
還暦を期に、こう考えるようになっていたそうです。
中東などの取材に行っていたところ、民放から声がかかるようになったのが、今の池上さんのスタートとなりました。
そして、もう1つのきっかけ。それは還暦を迎えたことでした。
「還暦で人生一回りした」と感じた池上さん。
「ここまで私が生きてこられたのは、もちろん親のおかげでもあるけど、社会のおかげではないかと。私が高等教育を受けられたのも社会のおかげ。ここからは社会に還元する、恩返しができないかな」
還暦を期に、こう考えるようになっていたそうです。
文系と理系の架け橋に
その頃、東日本大震災が起こります。
放射能を巡って東京大学や東京工業大学の専門家がテレビに登場するも、難しい専門用語を使って話をするため、視聴者が理解できないという問題がありました。
「専門家はいつも専門家同士で話をしてるから、文系の人が何がわからないかがわからない」
この状況を見ていて、「日本は文系と理系が切り離されてしまっている。文系と理系を繋ぐ、橋を掛けるような仕事ができないだろうか」と思っていた池上さん。
そんな矢先、東京工業大学から「理系の学生に、文系の話をしてください」というオファーが届きます。
池上さんは、ここから大学教授の道も歩むようになったのです。
放射能を巡って東京大学や東京工業大学の専門家がテレビに登場するも、難しい専門用語を使って話をするため、視聴者が理解できないという問題がありました。
「専門家はいつも専門家同士で話をしてるから、文系の人が何がわからないかがわからない」
この状況を見ていて、「日本は文系と理系が切り離されてしまっている。文系と理系を繋ぐ、橋を掛けるような仕事ができないだろうか」と思っていた池上さん。
そんな矢先、東京工業大学から「理系の学生に、文系の話をしてください」というオファーが届きます。
池上さんは、ここから大学教授の道も歩むようになったのです。
地方紙で日本全国の「今」がわかる
「わかりやすく説明するというプロになられたんですね」と納得の石塚に、「それが私の専門分野だという風に考えたということですね。今もひたすら毎日勉強、勉強です」と池上さん。
池上さんは情報収集のため、地方紙を含め新聞を12紙取っています。
地方紙では、共同通信の記事など、全国紙では読めないような記事を読むことができます。
河北新報を読めば、東北の復興の現状がわかる。
京都新聞を読めば、古都で何が起きているのかがわかる。
中国新聞と長崎新聞を読めば、広島と長崎の被爆者の話が常にわかる。
このように、日本全国で今何が起きているか知ることができるというのです。
池上さんは情報収集のため、地方紙を含め新聞を12紙取っています。
地方紙では、共同通信の記事など、全国紙では読めないような記事を読むことができます。
河北新報を読めば、東北の復興の現状がわかる。
京都新聞を読めば、古都で何が起きているのかがわかる。
中国新聞と長崎新聞を読めば、広島と長崎の被爆者の話が常にわかる。
このように、日本全国で今何が起きているか知ることができるというのです。
ニュースのフローとストック
「その上で、新聞はフローで情報が流れていきますよね。それをきっかけに、自分が引っかかったものに関して、リアル書店に行って本を読んで、それについて勉強する。それがストックになるわけですね」と池上さん。
フローの情報をきっかけに勉強をして、ストックを貯める。ストックを貯めると、その後フローの情報が来ても「あの話がその後、こうなったんだな」とわかるといいます。
これは幅広い興味関心がないと、できないこと。池上さんならではの情報収集力です。
(minto)
フローの情報をきっかけに勉強をして、ストックを貯める。ストックを貯めると、その後フローの情報が来ても「あの話がその後、こうなったんだな」とわかるといいます。
これは幅広い興味関心がないと、できないこと。池上さんならではの情報収集力です。
(minto)
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