石塚元章 ニュースマン!!

1964東京五輪の象徴「代々木競技場」が重要文化財指定へ

5月21日、文化審議会は代々木競技場の第一体育館と第二体育館を、国の「重要文化財」に指定するよう、萩生田光一文部科学大臣に答申しました。

これらは1964年、前回の東京オリンピックの際に、名建築家として知られる丹下健三さんが設計したもの。今回の東京オリ・パラでも会場となる場所です。

5月24日放送の『石塚元章 ニュースマン!!』「スポーツニュースマン!!」のコーナーでは、この代々木競技場について取り上げました。

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「吊り構造」のメリット

代々木競技場が重要文化財に指定された場合、完成年代が新しい「最年少」の重要文化財となります。

「代々木競技場」と聞いてピンと来ない方も、映像や写真を見れば「ああ! あれか!」と気づくかもしれません。それほど印象的な外観の建物です。

第一体育館は左右に2本、第二体育館は1本の巨大なコンクリートの柱があります。その柱から、太いワイヤーで屋根全体を釣りあげる「吊り構造」でできています。

第一体育館は2つの半円を合わせてつくった谷のようなダイナミックな建物、そして第二体育館は円すい状の天井が特徴的な、カタツムリの殻のような建物です。

体育館の内部に他の柱がないため視界を遮るものがなく、観客が競技を見やすいというメリットがあります。

広島平和記念資料館や東京都庁なども手掛けた「世界のタンゲ」こと丹下健三さんが設計した、昭和を代表する建物です。
 

わずか18か月の突貫工事

代々木競技場が建っているのは、戦前は帝国陸軍の練兵場、戦後はアメリカ空軍家族の住宅地「ワシントンハイツ」だった場所。オリンピックを前に返還されたこの土地に、代々木公園やNHKなどと隣接して建っています。

アメリカ軍との返還交渉が長引いたために工事の着工が遅れ、競技場が竣工したのはオリンピックを翌月に控えた1964年10月のこと。

なんと、わずか18か月という突貫工事で仕上げられたものでした。

途中で視察に来ていた、当時の国際オリンピック委員会(IOC)第5代会長アベリー・ブランデージは、「アメリカ人だったら絶対できない!」と言い残して帰ったといいます。

しかし1964年の日本人は、この無理難題を見事やってのけたのです。
 

「国立」代々木競技場は間違い!

立派な体育館があるからこそ、できるスポーツも多くあります。

レスリング、ハンドボール、器械体操など、しっかりした体育館があるおかげで開催できる競技もあるのです。

「そんな突貫工事の期間で、この後も文化財になるようなしっかりとした建物をつくるって。当時の日本人はすごいですね」と、感嘆する渡辺美香アナウンサー。

前回の東京オリンピックは、その後映画になるなど記念となった大会。
「果たして、今回はどうなりますかね」と、石塚は2度目の東京オリンピックに思いを馳せます。

ちなみに「国立代々木競技場」という呼び名を耳にすることもありますが、現在は独立行政法人。したがって、厳密には「国立」が付くと間違いになってしまうそうです。
(minto)
 
石塚元章 ニュースマン!!
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2021年05月22日07時30分~抜粋

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