石塚元章 ニュースマン!!

伊勢湾台風から60年…今後気をつけるべきことは?

60年前の1959年(昭和34年)9月26日は伊勢湾台風が発生し、東海地方を中心として全国的に大きな被害が発生しました。
今でも台風による被害はたびたび起きていますが、あらためて伊勢湾台風について学び、今後の教訓として生かせることはあるのでしょうか?

9月28日放送『石塚元章 ニュースマン!!』では、名古屋大学減災連携研究センター・センター長の福和伸夫教授、伊勢湾台風について解説しました。
聞き手は、CBC論説室の石塚元章渡辺美香アナウンサーです。

悪条件が重なり甚大な被害に

伊勢湾台風による犠牲者は約5,000人。これは、阪神・淡路大震災が発生するまでは、自然災害による犠牲者が戦後最多の数字でした。

伊勢湾台風の特徴は、スピードが速かったこと。和歌山県の潮岬(しおのみさき)に上陸し、特に台風の目の東側で風が強く、名古屋市などが大きな被害を受けました。

さらに吹き寄せ効果により、南から北の方へ一緒に水も運ばれてしまいます。

伊勢湾は南の方が開いていて、北の方が狭くなっていたことや、すごく気圧が低かったために吸い上げられる効果、たまたま大潮の時期の満潮と重なっていたという悪条件が重なり、大きな高潮が襲いました。

また、当時港に木曽檜やラワン材が運ばれてきたことにより、たくさんの木が高潮で流されて家々を襲ったことも被害を拡大させました。

干拓地だったことが災いに

福和先生は、さらに被害が大きかった原因として、名古屋の一部地域で土地が低かったことを挙げました。

埋め立て地は上に盛って作られ、大企業の工場などは高い場所にあるために水に浸からないのですが、さらに陸側にある干拓地は低いままでした。

埋め立て地と干拓地、どちらも同じように感じられますが、干拓地は干潮時に堤防を作って仕切ることで水の流入を防ぐというもの。干拓地自体は低いままなのです。

しかも戦後、地下水のくみ上げにより地盤沈下が起きたため、さらに土地は低くなったというわけです。

干拓地は最初は塩田に利用されることが多く、この辺りでも江戸時代から塩が作られていましたが、「上塩田」や「塩釜口」などの地名や塩付街道はその名残りだそうです。

伊勢湾台風が発生した当時、その干拓地には工場に勤めていた方の住宅や中小企業が多く、弱い平屋建ての家が多かったため、これも被害が大きくなった原因となりました。
伊勢湾台風による経済的な被害は、愛知県と三重県で約5,000億円。

当時の日本の国内総生産は約13兆円で、現在はその約40倍ですので、今に換算すると20兆円にも上ります。

これは阪神淡路大震災の倍近く、東日本大震災をやや超えるほどということで、いかに大変な被害だったかがわかります。

その後、公的な支援が今よりも少なかった中で、東海地方の方々は自ら懸命にがんばって復興を遂げました。

また、堤防が切れた地区では堤防を直すまでに2ヶ月間かかり、その後水を抜くのに1ヶ月かかりました。

今はこの地域でも高潮防波堤が作られて安全にはなりましたが、それでも財政上の問題などで、すべての場所で十分に防波堤が作られたわけではありません。

また、伊勢湾台風がきっかけで、1961年(昭和36年)に災害対策基本法が交付され、日本の災害対応の原点となりました。

福和先生は、「ここ10数年では台風で犠牲者が1,000人を超えることはなくなったため、改善されている」としつつも、最後に「60年前の伊勢湾台風のことを思い出しながら、これからの南海トラフ地震に備えていかないといけない」とまとめました。
(岡本)
 
石塚元章 ニュースマン!!
この記事をで聴く

2019年09月28日08時12分~抜粋

関連記事

あなたにオススメ

番組最新情報