4月22日放送のCBCラジオ『北野誠のズバリ』では、事故物件住みます芸人の松原タニシが、日本における地獄の概念とその歴史的変遷について解説しました。
龍谷ミュージアムの学芸員・村松加奈子さんから教わった研究内容をもとに、平安時代から江戸時代にかけて地獄の概念がどのように変化し、文化に影響を与えてきたかを紹介しました。
地獄へ導く日常の行為
「皆さん、地獄について日々考えておられますでしょうか」と切り出した松原タニシ。地獄には実は細かく決められたルールが存在するとのこと。
「地獄絵図」に特化した研究をしている龍谷ミュージアムの学芸員・村松加奈子さんから松原が教わったところによると、地獄の定義が体系化されたのは10世紀(900年代)に編纂された『往生要集』という書物からだといいます。これは源信(げんしん)というお坊さんが、先輩僧侶から聞いた地獄にまつわる話をまとめたものです。
この書物には「地獄に行く条件」や「どれほど悪いことをしたらどの程度ひどい地獄に行くか」などが詳細に記されていました。例えば「嘘をつく」「魚を食べる」「女性にいやらしいことをする」「酒を飲む」といった行為が対象になるそうです。
この話に北野誠は「俺なんかずっと地獄や。ずっと出てけえへん、地獄から」と嘆きます。
つまり、この『往生要集』によると、ほとんどの人が地獄に行くことになっているということです。
「地獄絵図」に特化した研究をしている龍谷ミュージアムの学芸員・村松加奈子さんから松原が教わったところによると、地獄の定義が体系化されたのは10世紀(900年代)に編纂された『往生要集』という書物からだといいます。これは源信(げんしん)というお坊さんが、先輩僧侶から聞いた地獄にまつわる話をまとめたものです。
この書物には「地獄に行く条件」や「どれほど悪いことをしたらどの程度ひどい地獄に行くか」などが詳細に記されていました。例えば「嘘をつく」「魚を食べる」「女性にいやらしいことをする」「酒を飲む」といった行為が対象になるそうです。
この話に北野誠は「俺なんかずっと地獄や。ずっと出てけえへん、地獄から」と嘆きます。
つまり、この『往生要集』によると、ほとんどの人が地獄に行くことになっているということです。
細分化された地獄
地獄の種類は、「熱地獄」と「寒地獄」の2種類に大きく分かれます。
熱地獄の中には「八大地獄」があり、上位の等活(とうかつ)地獄や黒縄(こくじょう)地獄から、最下層の阿鼻(あび)地獄まで。他にも焦熱(しょうねつ)地獄などさまざまな区分があります。
さらに、八大地獄の中にそれぞれ16個の小地獄があるため、熱地獄だけで128の地獄が存在するとのこと。同様に寒地獄にも128の地獄があることから、合計256もの地獄が細分化されているという驚くべき体系が作られていたのです。
各地獄には厳しい罰があります。たとえば最下層の「阿鼻地獄」では、鬼に舌を引っ張られて絨毯のように伸ばされ、そこにトゲトゲの虫を大量に放たれるという拷問を受けたり、熱々の鉄球を口の中に入れられたりするなど、さまざまな苦しみがあるといいます。
松原によると、こうした地獄のルールを細かく決めていくことには「規律が正されるという意味もある」とのこと。つまり、地獄の恐怖を通じて生活が改善され、社会の治安が良くなるという効果も期待されていたようです。
熱地獄の中には「八大地獄」があり、上位の等活(とうかつ)地獄や黒縄(こくじょう)地獄から、最下層の阿鼻(あび)地獄まで。他にも焦熱(しょうねつ)地獄などさまざまな区分があります。
さらに、八大地獄の中にそれぞれ16個の小地獄があるため、熱地獄だけで128の地獄が存在するとのこと。同様に寒地獄にも128の地獄があることから、合計256もの地獄が細分化されているという驚くべき体系が作られていたのです。
各地獄には厳しい罰があります。たとえば最下層の「阿鼻地獄」では、鬼に舌を引っ張られて絨毯のように伸ばされ、そこにトゲトゲの虫を大量に放たれるという拷問を受けたり、熱々の鉄球を口の中に入れられたりするなど、さまざまな苦しみがあるといいます。
松原によると、こうした地獄のルールを細かく決めていくことには「規律が正されるという意味もある」とのこと。つまり、地獄の恐怖を通じて生活が改善され、社会の治安が良くなるという効果も期待されていたようです。
地獄概念の変遷と宗教的背景
地獄の概念が広まり始めたのは平安・鎌倉時代で、最初は貴族や武士階級に浸透していきました。
初期の頃、僧侶たちは貴族や公家、武士などの権力者に対して非常に厳しい地獄の姿を説きました。「こんなにつらい地獄があります。お酒を飲んだだけでも、魚を食べただけでも地獄に落ちます。ただ、地獄に落ちない方法があるんですよ」と伝え、その解決策として「お寺にお布施をしましょう」と勧めたのです。
権力者たちは「お寺に寄付をするので、私たちだけは地獄から救ってください」と頼み、そうして救われるシステムが確立されていきました。
このように、地獄絵図をさらに恐ろしく見せることで「地獄に落ちたくない」という恐怖心を人々に植え付け、布施を集めるという側面があったようです。初期の地獄概念は、宗教的な教えというだけでなく、実利的な目的も含んでいました。
初期の頃、僧侶たちは貴族や公家、武士などの権力者に対して非常に厳しい地獄の姿を説きました。「こんなにつらい地獄があります。お酒を飲んだだけでも、魚を食べただけでも地獄に落ちます。ただ、地獄に落ちない方法があるんですよ」と伝え、その解決策として「お寺にお布施をしましょう」と勧めたのです。
権力者たちは「お寺に寄付をするので、私たちだけは地獄から救ってください」と頼み、そうして救われるシステムが確立されていきました。
このように、地獄絵図をさらに恐ろしく見せることで「地獄に落ちたくない」という恐怖心を人々に植え付け、布施を集めるという側面があったようです。初期の地獄概念は、宗教的な教えというだけでなく、実利的な目的も含んでいました。
地獄観のポップ化
江戸時代になると民衆にも仏教が広まり、地獄の概念も一般庶民に浸透していきました。しかし、民衆はお寺に高額な布施をする経済力がなく、「私たちにはそんなお金がない」「どう考えても地獄に落ちてしまう」という悩みが生まれます。
その結果、「地獄絵自体をポップにしたらいい」という発想が生まれ、怖い地獄絵図が次第に漫画チックに変化していきました。例えば閻魔大王の顔が蛸入道(たこにゅうどう)に変わったり、当時有名だった歌舞伎役者・八代目市川団十郎の浮世絵に鬼や幽霊、犬・猫が登場したりと、死や地獄の概念がユーモラスな表現で描かれるようになったのです。
これを「地獄のハードル下げようぜ運動」と表現する松原。
さらに、閻魔大王や、罪の重さを量る「奪衣婆」(だつえば)というおばあさんがパロディ化されていきました。たとえば、閻魔大王が若い女性に背中を貸してあげているところをニヤニヤしながら見ている絵や、美少年が奪衣婆の肩を揉んでいる絵など、地獄の権威者たちが滑稽に描かれるようになりました。
その結果、「地獄絵自体をポップにしたらいい」という発想が生まれ、怖い地獄絵図が次第に漫画チックに変化していきました。例えば閻魔大王の顔が蛸入道(たこにゅうどう)に変わったり、当時有名だった歌舞伎役者・八代目市川団十郎の浮世絵に鬼や幽霊、犬・猫が登場したりと、死や地獄の概念がユーモラスな表現で描かれるようになったのです。
これを「地獄のハードル下げようぜ運動」と表現する松原。
さらに、閻魔大王や、罪の重さを量る「奪衣婆」(だつえば)というおばあさんがパロディ化されていきました。たとえば、閻魔大王が若い女性に背中を貸してあげているところをニヤニヤしながら見ている絵や、美少年が奪衣婆の肩を揉んでいる絵など、地獄の権威者たちが滑稽に描かれるようになりました。
地獄から救いへ
江戸時代は戦乱のない平和な時代であり、現代でいうとバブル期や高度経済成長期のように民衆の文化が醸成され、芸術的なものが開花していった時代でした。その文化的な発展は地獄絵図にも反映され、恐ろしさよりも面白さや遊び心を取り入れた表現が生まれていったのです。
松原は「地獄絵図を時代で見ることで、ちょっと面白さが変わってくる」と語り、歴史から見る地獄観の変化の興味深さを伝えました。
北野は、浄土真宗が広まった理由にも触れます。人々が「殺生をすれば地獄に行く」と恐れていた時代に、親鸞聖人(しんらんしょうにん)は「南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に行ける」と、わかりやすい教えを伝えました。このシンプルさが、多くの人々に受け入れられました。これは庶民にとって大きな救いになったそうです。
松原は「とんでもない発想ですよね。そら広まるし、他の権力者怒るし」と当時の宗教的・政治的な対立にも言及しました。
地獄の概念を歴史的に見ていくことで、日本の文化や宗教の変遷が浮かび上がってきます。恐怖から娯楽へ、厳格な教えから救済への道筋など、地獄観は日本の歴史と文化を理解する上で興味深い切り口です。
(minto)
松原は「地獄絵図を時代で見ることで、ちょっと面白さが変わってくる」と語り、歴史から見る地獄観の変化の興味深さを伝えました。
北野は、浄土真宗が広まった理由にも触れます。人々が「殺生をすれば地獄に行く」と恐れていた時代に、親鸞聖人(しんらんしょうにん)は「南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に行ける」と、わかりやすい教えを伝えました。このシンプルさが、多くの人々に受け入れられました。これは庶民にとって大きな救いになったそうです。
松原は「とんでもない発想ですよね。そら広まるし、他の権力者怒るし」と当時の宗教的・政治的な対立にも言及しました。
地獄の概念を歴史的に見ていくことで、日本の文化や宗教の変遷が浮かび上がってきます。恐怖から娯楽へ、厳格な教えから救済への道筋など、地獄観は日本の歴史と文化を理解する上で興味深い切り口です。
(minto)
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