北野誠のズバリ

名古屋みやげの代名詞・坂角総本舗「ゆかり」。ルーツは漁師のおやつ?

『北野誠のズバリ』、東海3県内のがんばる企業を応援する「地元の企業にズバリ」のコーナー。

7月22日の放送で取り上げたのは、130年余の歴史を持ち海老せんべい『ゆかり』で知られる株式会社坂角総本舗(本社:愛知県東海市)。
マーケティング部営業企画課 広報情報管理担当の山田弥生さんに坂角総本舗の歴史と取り組みについてお話を伺いました。

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屋号は「キムタク方式」

創業は1889年(明治22年)。創業者は、坂 角次郎(ばん・かくじろう)さん。
近所の方々の「坂角さん」という呼び名が、そのまま屋号となりました。

「ずっと坂角 次郎(ばんかく・じろう)だと思っていた」という北野誠に、「キムタク、みたいなものでしょ」と大橋麻美子。

北野は、「吉本新喜劇に出ておられた船場 太郎(せんば・たろう)さんが、船 場太郎(せん・ ばたろう)っていうギャグをやっておられたんですけど。それに近いような感じ」と思いつきます。

坂角総本舗の創業者は「坂角さん」ではなく、「坂さん」でした。
 

お殿さまの太鼓判「極上の美味」

坂角総本舗といえば「海老せんべい・ゆかり」。そのルーツは江戸時代まで遡ります。

漁師たちが、浜辺で獲れたての海老をすり身にして、あぶり焼きにして食べていた「えびはんぺい」が原型だといわれています。

北野「尾張地方の人は、そんな昔から食べてたのか」
山田さん「知多のあたりでは、昔からたくさん海老が獲れていました」

1666年(寛文6年)、尾張の二代目藩主・徳川光友公が知多の横須賀(現在の愛知県東海市)に御殿を建てた時に、えびはんぺいを「極上の美味」と絶賛。

以後、徳川家の献上品になったと伝わっているそうです。
 

ゆかりの原型は生せんべい

北野「漁師たちの“漁師おやつ。それを誰かが献上したのか」
山田さん「御殿の遺跡の場所を見ると、漁をしていた浜のすぐ側に建っていたようです」

北野「御殿を建てた時に海を眺めてたら、なんか食べてんの見えてんやろな」
大橋「匂いじゃないですか?おいしそうな」

北野「匂いや! あれはなんぞと」
大橋「あくまで想像ですけど(笑)」

当時は、海老のすり身をあぶり焼きにしていただけで、現在のような海老せんべいの形ではありませんでした。

「のちに、創業者の坂 角次郎が製法に工夫を重ねて、炭火で焼き上げる新しい生せんべいを完成させました。これが『ゆかり』の原型といわれています」と山田さん。
 

自宅の火鉢であぶって完成する

北野「創業当時は、固いパリッとするもんじゃなくて、生せんべいで販売していたということですか?」
山田さん「まだ“ゆかり”ではなくて、“生せんべい”と呼ばれていました。現在のゆかりと一番違うのは、完成品ではないということです」

ゆかりは製法が特殊で、1度はんぺいを焼いてから乾燥させたあと、2度目の焼きをして、やっと完成するおせんべい。

当時は、えびはんぺいを天日干しした生せんべいを、各家庭の火鉢であぶって食べていたそうです。

北野「昔は干し芋を家の火鉢で焼いてたけど」
山田さん「ちょっと近いかもしれないですね」

火鉢であぶることで、現在の「ゆかり」に近い形のものができあがっていたということです。

地元の小さな商店から始まった坂角総本舗。本店は現在も発祥の地・東海市横須賀町の同じ場所にあり、営業を続けています。
 

1枚に海老7尾入り!

生せんべいから始まった「ゆかり」は、1966年(昭和41年)三代目の時に現在の形になりました。

三代目が「他にはない、おいしいおせんべいを売らなければ」と、アイディアを探していた時、生せんべいを火鉢であぶって晩酌を楽しむ二代目を見て、「これをすぐに食べられるおせんべいとして売り出せば、喜ばれるのでは」と思いついたのがきっかけだったそうです。

北野「ゆかりは一般的な海老せんべいと、なんか違いますよね」
山田さん「一番違うのは、海老の量ですね」

一般的な海老せんべいは、でんぷんなどのつなぎの粉が主原料ですが、ゆかりの主原料は「海老」。1枚に7尾の海老を使用しているのが大きな特徴です。

「この辺がすごいよな」「だから濃厚な味がするんですね!」と感心しきりの、北野と大橋でした。
(minto)
 
北野誠のズバリ
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2021年07月22日13時23分~抜粋

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