北野誠のズバリ

松原タニシが解説!関東と関西で違う「骨上げ」

『北野誠のズバリ』火曜日は、事故物件住みます芸人の松原タニシが毎週、気になることや体験したことをレポート。

4月27日の放送では「骨上げ」、つまりお骨の拾い方における関東と関西の違いについて取りあげました。

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骨壷の大きさが異なる理由

松原が納骨について調べようと思ったきっかけは、ふとしたことから、ある方のお骨を預かった際に、「自分が知っている骨壷よりもかなり大きい」と感じたこと。

松原は関西出身で、お骨の方は関東出身。

これは地域差があるのではないかと思い、調べてみたところ、骨壷の大きさは収骨方法の違いによるものだということがわかりました。

関西は部分収骨といって、喉仏をまず大事に取って、その他の骨は一部だけ取って収めるケースが多く、残りはそのまま斎場で供養していただくという形になっています。

一方、関東は一般的に全収骨、つまり拾えるお骨はすべて収めるという形を取っているため、大きな骨壷が必要となるわけです。
 

名古屋はどっち?

では、他の地域はどうなのかと思い、松原が番組スタッフに尋ねたところ、愛媛出身の人は大きな骨壷、愛知は小さい骨壷とのこと。

さらに、九州や沖縄でも全収骨を希望される方が多いなど、キッチリとは分けられないものの、一般的にはおおよそ関東と関西に分かれるそうです。

ここで松原は、やはり愛知あたりに境目があるのではないかと推測。

まるで、北野がかつて『探偵!ナイトスクープ』(ABCテレビ)で調べていた「全国アホ・バカ分布図」のようです。

そこで、名古屋市で大きな八事斎場のサイトを確認したところ、名古屋地区では部分収骨が主になっているとのことです。

また、骨壷が大小2つあり、小さい方に喉仏、大きい方に他のお骨を納め、これはお寺用とお墓用に分けられます。

宗派にもよりますが、浄土真宗の場合は小さいお骨を東本願寺に分骨することが一般的だそうです。
 

関東と関西が違う歴史的根拠

では、なぜそもそも収骨方法が関東と関西で分かれているのでしょうか。

火葬は仏教とともに伝わったもので、西暦700年頃から始まったとされています。

ただ、当時はたくさんの薪と高い技術が必要だったため、位の高い人にしか行われませんでした。

その後、日本でも火葬が広がっていくのですが、明治時代になり、政府が神道を押し進めるため、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」によって仏教を弾圧する中で、1873年(明治6年)に火葬禁止令を出しました。

しかし、土葬をする場所がなくなるなどの不都合が生じたため、わずか2年後に廃止。

この時、火葬に関する新しいルールを決めており、火葬場の場所を限定したり、火葬場と墓地は別々の場所にすることなどとしていましたが、関西ではそのルールも守りませんでした。

そのため、関西は部分収骨をしてすぐ近くの墓地に埋めていたのに対して、関東は火葬場と墓地が離れていたため、骨壷にすべての骨を収めるようになったといわれています。

収骨方法の違いは古くからかと思いきや、意外と新しいようです。
(岡本)
 
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2021年04月27日15時20分~抜粋

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