北野誠のズバリ

本当は怖い話だった!愛知県一宮市に伝わる民話

『北野誠のズバリ』の1コーナー、「松岡亜矢子の地元に聞いちゃうぞ」では、パーソナリティーの松岡亜矢子が東海地区に関する情報を紹介。

11月23日の放送では、番組全体で「晩秋の心霊特集」を組んでいた流れで、愛知県に伝わる怖い話を取りあげました。

中日新聞で現在連載されている「あいちの民話を訪ねて」という企画の中から、松岡が気になる3つの話をピックアップしましたが、ここではそのうちの1つ、愛知県一宮市に伝わる「『与三の火』と人柱観音」について紹介します。

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愛知県一宮で伝わる民話

一宮市の起(おこし)という地域で、木曽川沿いにある金刀比羅神社の奥には、「人柱観音」と書かれた石碑と、2.5mほどの高さがある大きな観音像があります。

観音様が見つめている先には、一宮市と岐阜県羽島市を結ぶ濃尾大橋がかかっています。

濃尾大橋は1956(昭和31)年に完成したのですが、ここで伝わる民話は、その橋が架かるよりもかなり前、江戸時代にまで話はさかのぼります。

江戸時代の初期、治水工事で名高い伊奈備前守(いなびぜんのかみ)が、木曽川の支流をせき止める工事を進めていましたが、工事は難航し手を焼いていました。

そんな中、工事の本陣で働いていた貧しい農民の与三兵衛(よそべえ)さんが、自らの命を捧げて工事の完成を願う人柱に志願し、川に飛び込みました。

その後工事は順調に進み、堤防が完成しました…というのが、一宮で伝わってきた民話の内容です。
 

実はあったアナザーストーリー

ここまでの話を聞いて、「確かに人柱になるのは怖いけど、そこまで怖い話なのか?」と思われたかもしれません。

この内容は表向きの話で、実はこの民話はもう1つ、別の内容でも伝わっています。

工事が難航して疲れた民たちが、人柱を立てることで解決しようと思い立ち、与三兵衛さんを無理やり埋めてしまったというもの。

その後、雨が降る夜は人柱となった場所からお寺まで、ゆらゆらと浮かぶ青白い火の玉が目撃されるようになり、「死んでからも与三兵衛がお参りをしているんだろう」や、「浮かばれずにさまよっている」などという噂が立つようになりました。

そして、その火の玉のことを「与三の火」と呼ぶようになり、明治時代末期まで地元の人は誰でも目撃していたと伝わっています。
 

観音様が建てられた理由は?

どちらが本当の話かわかりませんが、もし後者の方が本当なら、民話はのどかな話やハッピーエンドの話ばかりではないですね。

松岡は最後に「民話って見ていくと、すごい人間の欲とか怖い部分があぶり出されてるものが多いなと思って。ちょっと裏表を読み解きながら見る民話も面白いなと思いました」と、感想をまとめました。

ちなみに、最初に紹介した観音様は、なぜ金刀比羅神社の奥に建立されたのでしょう。

実が濃尾大橋の建設工事で3人の方が亡くなったり、その以前から木曽川でこどもが川遊びで亡くなったりと事故が続いていたため、「与三兵衛さんの霊が浮かばれてないからだ」と噂になりました。

そこで、有志の方々がお金を出し合って、濃尾大橋が完成した翌年に観音像を建立したのだそうです。
(岡本)
 
北野誠のズバリ
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2020年11月23日14時38分~抜粋

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