北野誠のズバリ

歴女の間でもブームに!知れば知るほど深い「家紋」

意識することはあまりないと思われますが、自分の家紋についてご存知でしょうか。

最近、家紋を知らない人が多くて廃れてきており、このままでは消えてしまう可能性もある一方で、特に歴史好きの女子が、戦国武将が登場するゲームなどを通じて、あらためて家紋の魅力にハマるケースもあるそうです。

12月7日放送『北野誠のズバリサタデー』では、家紋の歴史を特集。

日本家紋研究会理事で、インターネットサイト「家紋ワールド」を運営する田中豊茂さんに、パーソナリティーの北野誠と加藤由香アナウンサー、ITジャーナリストの井上トシユキが電話でお話を伺いました。

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家紋はなぜ生まれた?

家紋は全国で2万から3万ほどあると言われており、田中さんは家紋を探しにお墓に行くそうですが、今でも新しい家紋を発見するぐらい、数が多いものです。

その歴史は平安時代後期にまでさかのぼり、公家が牛車で朝廷に出仕する際、お供の物がどれが主人の牛車なのかわかるようにするため、西園寺というお公家さんが自分の牛車に巴紋を付けたのが最初と言われています。

その後、武家社会となった鎌倉時代には、公家の間だけではなく家紋は多くの人に広まります。

源平合戦では敵味方を区別するため、源氏が白旗、平家が赤旗を掲げていましたが、戦に勝利して源氏の世の中になると、全てが白旗となりました。

武家さんは自分の手柄を持っていき、恩賞として土地などをもらう際、「自分はこれだけ活躍したんだ」と印象づけるため、白い旗に自分の好みの文様を付けたそうです。

合戦の最中、のぼりにマークがついていれば、あの時活躍したのは誰なのか識別できます。

そして、区別するために各々が紋章を付けるとなると、どんどん増えていくことになるわけです。

一般庶民にまで広まったきっかけ

このように一部の人だけが使っていた家紋ですが、一般庶民にまで広がったのは、やはり明治維新以降だそうです。

田中さんによりますと、明治時代になると、戦争や合戦の必要がなくなり、武士などが紋章を付ける意味がなくなった一方で、庶民は名字が名乗れるようになったことで、これまで家紋に憧れていた庶民が、家紋を使うようになったというのが定説だそうです。

また、先祖は武家だったのですが、没落してしまったために、江戸時代の身分制度で一般人の家となり、表立って名字や家紋を使えなかった人が、明治時代になって、ようやく名乗れるようになったというケースも少なくないそうです。

模様はどうやって決まる?

ここで北野が、家紋そのものの形について尋ねました。

北野「家紋というのは、その土地のゆかりとかあるんですかね?」

田中さん「ありますね。紋というのは、めでたいとか美しいとか先祖の手柄とか、良いことに関わるものが基本になってますから。あと氏神様ですね。

例えば、熊本県の阿蘇神社の神紋は鷹の羽なんですよ。そしたら、その地域には鷹羽の紋が多いとかね。長野県の諏訪大社は梶の葉という神紋なんですよ。そしたら梶の葉を使う人が多いとか、そういう地域性はありますね」

また現在、若い人を含めて家紋がブームになってきていることは、研究する者にとっては追い風と田中さんは語りました。

最後に田中さんは、「ただ、自分の所の家紋がわからないという人が増えてるんですよ。やっぱり家の紋と言うぐらいで、家があっての家紋ですから、先祖の歴史を調べるとか、例えばおじいさんやひいおじいさん、親戚のお年寄りの方と話をして、自分の所の歴史を知る、そして家紋を知るということが、今の時代には必要なことなんじゃないかなと思うわけです」とまとめました。
(岡本)
北野誠のズバリ
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2019年12月07日10時30分~抜粋

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