北野誠のズバリ

京都人がストレートな言い方をしないのは理由がある!

6月9日放送の『北野誠のズバリサタデー』では、「本当の京都に迫る」をテーマに、京都人の気質や文化を掘り下げました。

レギュラー出演している京都出身のITジャーナリスト・井上トシユキが、番組内で京都の話題になると、よく「洛中か洛外か」についてこだわることがありますが、京都以外の人間からすれば、あまりピンと来ないこだわりです。

今回は、『京都ぎらい』『京都ぎらい 官能篇』(朝日新書)の著者でもある国際日本文化研究センター教授の井上章一先生をゲストに迎え、「いけずで底意地の悪い」と言われがちな京都人の素顔について伺いました。

京都人のクレームが回りくどい?

まずは『京都ぎらい』を書いたきっかけを北野が尋ねたところ、井上先生は「いろいろ"いけず"をされたから。積もり積もった思いがあったのでしょう」と、非常にわかりやすい理由を明かしました。

北野も大学時代に京都で下宿をしていましたが、日常生活の中である違和感を覚えていたそうで、その原因が京都の人は優しく言っているようで、実は腹黒いからではないかと推測。

例えば、隣の人から「学生さん同士で楽しくやってはるね」と言われるのは、実は「大勢集まっていて、うるさい」というクレームなのです。

井上先生は、電車の中でうるさい子供がいると「元気なお坊ちゃんでうらやましいわ」と言うおばさんと一緒で、わかりやすく言ってくれた方がありがたかったということですね、と分析しました。

ただ、これは平安時代から続く都会の伝統が長いため、直接的な言葉で傷つけてはいけないという配慮から来るものだと釈明していました。

京都弁とは違う「京ことば」

京都人のよく知られているフレーズで、「ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどす?」というのがありますが、これは「早く帰ってくれ」と言いづらいために、そのような言い方になっています。

実際にお茶漬けの用意はされておらず、言われた側も理解した上で帰り支度をする、これが暗黙のルールというわけです。

井上先生はさらに、「昔、京ことばに力があった時は、『そろそろ帰りなさい』という慣用句やと(学習されていた)。今は京ことばが、ただの京都弁になり下がっているので、他地方の人は丁寧な言い方だと思わずに、『こいつらは腹黒い』と思うようになった」と解説しました。

ここで気になるのは、「京ことば」と「京都弁」の違い。井上先生は、「京都の街中の人は、"京都弁"と言うと怒る」と語り、どうやら一地方の方言ではなく、都の言葉だというプライドがあるよう。

井上トシユキは「京都弁の方が"~け"と、ちょっと言い方がキツい。こっちの方はいわゆる洛外が中心の……」と語ったところで、出てきました「洛外」という単語。

平安京の中に住んでいるのかどうかは、京都人にとっては重要なようです。

井上先生「トシユキさんはどこでお生まれになったんですか?」
井上トシユキ「京都の上京区、河原町今出川ですね」
井上先生「際どいところや」
井上トシユキ「京極小学校出身ですから。"京"の"際"ですから」

井上先生「そういう方が結構、自意識の虜になるんです」
北野「(笑)ギリギリやから、俺は洛中の人間やと」
井上先生「(洛中だというアイデンティティを)守りたいと」

東京に行くのは上京ではない!

洛中か洛外か、住んでいる場所でマウンティングをするのは、京都に限らず日本中どこでもありそうですが、井上先生は特に京都の街中の人が特殊だと語ります。

旅行や出張などで東京に行くことを「東下り」と呼ぶそうで、現代の「上京」という言い方とは真逆。また、早稲田大学の校歌に出てくる「都の西北」いうフレーズは、京都人からすれば「(都は京都なので)東だろう」と思うのだそう。

東京は明治時代から都になってたかだか150年。京都は1,000年以上だという自負があるのでしょう。

ちなみに、つまらないもののことを「くだらない」と言いますが、これは江戸時代に立派な物は上方(現在の関西地方)から下ってきた物だという考え方があり、下ってきていない物はダメな物というのが語源だそうです。

また、洛中・洛外という発想は平安時代からあったそうですが、洛中以外の地域は洛外と呼ばずに、辺土と呼ばれていたそうです。まさに辺境の土地、そう考えると、洛外の方がまだマシな言い方かもしれません。

井上先生「(洛中だと)その頃威張っていたのは、朝廷やお公家さん、お寺さんぐらいで、最近は町人風情が威張りだしているという」

加藤由香アナ「(笑)井上さん……」

井上トシユキ「百姓の出やからね、ウチは」

洛外が注目された理由とは?

井上先生は「洛外という概念が広がってきたのは戦国時代の洛中・洛外図の屏風ではないか」と語ります。
洛中はしっかり描かれているのに、嵐山や宇治の平等院は縮尺が違っており、いかに洛外が雑に扱われていたかがわかる、と説明しました。

ただ、江戸時代の中頃になると、洛外の縮尺も合うようになってきます。
これは、だんだん京都が大阪に経済的に抜かれたことで、その頃から京都が観光に力を入れるようになり、観光地の多い洛外にも目を向けるようになったためだと説明しました。

井上先生「今、経済が中国に抜かれて日本が観光立国って言い出しているのと一緒。京都はその先駆けなんや」
井上トシユキ「ほらほらほら!見てみなさいよ」
井上先生「自慢することと違うやん」

その甲斐あってか、今や京都は外国観光客が多数訪れる観光地となっています。

井上先生「変な自慢ではないんやけど、世界遺産に登録されているのは、ほとんど洛外なんですよ」
井上トシユキ「周辺部ですね」
井上先生「この言い方がやらしいですね」

北野「世界遺産は、ほとんど辺土にあったということですね」
井上先生「手つかずやったからね」

町人風情と言われつつも、最後まで洛中であることにこだわる井上でした。
(岡本)
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2018年06月09日09時20分~抜粋

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