フォーク歌手の高石ともやさんが、8月17日に亡くなられていたことがわかりました。
京都を中心に活動されていたため関西のイメージが強いですが、北海道出身で、マラソンランナーとしても知られました。
20日放送のCBCラジオ『つボイノリオの聞けば聞くほど』では、塩見啓一アナウンサーが高石さんについて語りました。
「受験生ブルース」がヒット
コーナーの冒頭にかけられた曲は「受験生ブルース」で、1968年(昭和43年)に発売された曲ですが、これが大ヒットしました。
「今より受験戦争が華やかな時代で、楽しく聴いていましたが、今思うとストレスの多い時代でしたね」(Aさん)
後に1971年(昭和46年)にはザ・ナターシャー・セブンを結成されています。
塩見は当時京都に住んでいて、ザ・ナターシャー・セブンの方々が出演されたラジオ番組もよく聞いていたとのこと。
また、リスナーの方で高石さんのライブを観たことがある方からも、おたよりが届きました。
「気さくな方で本当にふつうの方で、良い意味で芸能人ぽくありません。しかし、ライブになるとギター1本で2時間歌います。ギターがうまくてカントリーにも精通していて、カーター・ファミリー・ピッキングがピカイチで、元祖フォークシンガーと呼ばれる人でした」(Bさん)
高石さんの人柄
実は塩見、高石さんと食事を同伴した経験がありました。
この放送の前日、同席した水分貴雅アナウンサーと思い出話になったそうです。
今から40年近く前、高石さんがたまたまCBCで仕事があり、近くの居酒屋で食事をすることになりました。
ふたりともまだ入社1、2年目と若い時でしたが、高石さんはいろいろな話を聞いてくれたそうです。その中で、塩見がアナウンサーになった経緯が話題になりました。
高石さんと共通の知人と芝居をしていた塩見、京都出身ゆえセリフが関西弁になってしまいます。
そこで「標準語を話せるようになろう」とアナウンススクールに通ったところ、そのままアナウンサーになったのです。
その話を高石さんは「人間って面白いねえ。人生いろんなことがあるねえ」と、優しく聞いてくれたとか。
昔からラジオでよく耳にしていた方を目の前にすると緊張するものですが、高石さんの人柄から、リラックスして話すことができたと振り返る塩見。
京都にちなんだ曲も
そして話は塩見だけではなく、つボイノリオも繋がりました。
「代表作が『受験生ブルース』ですが、それをパロったというかパクったのが、つボイさんの『女学生』です。本人不在でチャンスですので、聴き比べてみてください」(Cさん)
小高「この辺りはつボイさんが帰ってきた時に聞いてみたいところですね」
また、この番組とゆかりのある永六輔さんにもつながる話も紹介されました。
「『受験生ブルース』が有名ですが、われわれ京都の者にとりましては『街』という曲になじみがあります。
永六輔さんから『歌詞に地名がない京都の歌がない』と言われ、それを受けて作った曲と聞いています」(Dさん)
この話を受けて、京都の円山野音で長年開催されていた宵々山コンサートへの話へと広がっていきました。
(岡本)
つボイノリオの聞けば聞くほど
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2024年08月20日10時13分~抜粋