1月19日放送の『つボイノリオの聞けば聞くほど』(CBCラジオ)には、CBCの新人アナウンサー・佐藤楠大(なお)が出演しました。
アナウンサーを目指し、実際にアナウンサーになるまでの「自分自身の人生を変えた出会い」について語りました。
その裏には、同局の小高直子アナウンサーに繋がる意外な縁もあったといいます。
CBC新人アナ・佐藤楠大が語る「私の人生を変えた2つの出会い」
話すことが好きな元アイドル
もともと「好きなことを仕事にするか趣味にするかは、人生で大きな決断」と考えていたという佐藤。
大学時代は政治学科メディア専攻で、大学3~4年の時はドキュメンタリーゼミに所属。ひたすらドキュメンタリー番組を見て研究・制作をしていて、放送業界に興味は持っていたそうです。
実はアイドル活動をしていたこともあり、イベントの司会など「話すこと」はとても好きだったものの、それを「本気で向き合って仕事にする」という覚悟が持てていなかったとのこと。
「テレビ局は入るのが難しいよな」「喋りって、突き詰めてどこまで目指したらいいんだろう?」「今のままでいいな」という甘い気持ちでいたという佐藤は、アナウンサーとは全く関係のない職種で就職活動を終えていました。
大学時代は政治学科メディア専攻で、大学3~4年の時はドキュメンタリーゼミに所属。ひたすらドキュメンタリー番組を見て研究・制作をしていて、放送業界に興味は持っていたそうです。
実はアイドル活動をしていたこともあり、イベントの司会など「話すこと」はとても好きだったものの、それを「本気で向き合って仕事にする」という覚悟が持てていなかったとのこと。
「テレビ局は入るのが難しいよな」「喋りって、突き詰めてどこまで目指したらいいんだろう?」「今のままでいいな」という甘い気持ちでいたという佐藤は、アナウンサーとは全く関係のない職種で就職活動を終えていました。
「リスクを取ろう」沖縄での転機
そんな佐藤に転機が訪れたのは大学4年生の夏休み。本土復帰50周年の沖縄で卒業制作用の取材をしている時の、ある男性との出会いがきっかけでした。
その男性は、好きなバイクや車を買って、古い建物を自分でリノベーションしてそこに住んで、ガレージを作って暮らしていました。
それは佐藤がまさに「老後はこんな生活がしたいな」と憧れる生活だったのです。
佐藤が「どうしてその生活ができているんですか?」と尋ねると、男性から返ってきたのは「借金」という意外な答え。男性が言いたかったのは「リスクを背負えよ」ということでした。
「若い時の1年なんか覚えてないけど、挑戦し続けたということだけは良かった。これだけは言えるよ」という男性の言葉に背中を押された佐藤は、「リスクを取ろう」と思うようになったと言います。
その男性は、好きなバイクや車を買って、古い建物を自分でリノベーションしてそこに住んで、ガレージを作って暮らしていました。
それは佐藤がまさに「老後はこんな生活がしたいな」と憧れる生活だったのです。
佐藤が「どうしてその生活ができているんですか?」と尋ねると、男性から返ってきたのは「借金」という意外な答え。男性が言いたかったのは「リスクを背負えよ」ということでした。
「若い時の1年なんか覚えてないけど、挑戦し続けたということだけは良かった。これだけは言えるよ」という男性の言葉に背中を押された佐藤は、「リスクを取ろう」と思うようになったと言います。
CBC入社の伏線
それまではプライドが邪魔をして「挑戦してもうまくいかない」と思っていたものの、その考え方をガラリと変えて、「せっかくならアナウンサーを目指そう!」と思い至ったという佐藤。
知人に元CBCアナウンサーの平野裕加里さん紹介してもらい、その平野さんから、後に佐藤の師匠となる元CBCアナウンサーで小高の同期でもある原元美紀さんを紹介してもらったそうです。
これが佐藤がアナウンサーを目指した第2のきっかけ。
まるで佐藤が入社する伏線が張られていたかのように、CBCへと導かれていたのです。
佐藤は初対面の原元さんにアナウンサーへの思いをぶつけた時に、「やればできると思いますよ」とサラっと言ってもらえたことで背中を押されたそうです。
知人に元CBCアナウンサーの平野裕加里さん紹介してもらい、その平野さんから、後に佐藤の師匠となる元CBCアナウンサーで小高の同期でもある原元美紀さんを紹介してもらったそうです。
これが佐藤がアナウンサーを目指した第2のきっかけ。
まるで佐藤が入社する伏線が張られていたかのように、CBCへと導かれていたのです。
佐藤は初対面の原元さんにアナウンサーへの思いをぶつけた時に、「やればできると思いますよ」とサラっと言ってもらえたことで背中を押されたそうです。
私が今ここにいる理由
佐藤のために原元さんは本格的にアナウンススクールを設立。そこから二人三脚での就職活動がスタートしました。
「原元先生に出会わなかったら、本当にここにいないんですよ」と語る佐藤。
佐藤はもし自分が原元さんの立場であれば、チャラチャラした大学4年生から「アナウンサーに興味あるんですけど」と言われても、「何だこいつ?なめてるのか!」と思うだろうといいます。
佐藤「ただ、それを肯定してくれて、私に賭けてくれたっていうことが背中を押されるきっかけにもなりましたし、本当に嬉しかったんですよ。だから、原元先生は師匠なんです」
佐藤にとって、沖縄での男性との出会い、そして師匠である原元さんとの出会い、この2つの出会いが「私が今ここにいる理由」なのだそう。
「原元先生に出会わなかったら、本当にここにいないんですよ」と語る佐藤。
佐藤はもし自分が原元さんの立場であれば、チャラチャラした大学4年生から「アナウンサーに興味あるんですけど」と言われても、「何だこいつ?なめてるのか!」と思うだろうといいます。
佐藤「ただ、それを肯定してくれて、私に賭けてくれたっていうことが背中を押されるきっかけにもなりましたし、本当に嬉しかったんですよ。だから、原元先生は師匠なんです」
佐藤にとって、沖縄での男性との出会い、そして師匠である原元さんとの出会い、この2つの出会いが「私が今ここにいる理由」なのだそう。
徹底的に教えられた「鉄の掟」
佐藤が原元さんから徹底的に指導されたのは「挨拶・お礼・謝罪・報告」の「鉄の掟」。
社会人としては当然ともいえるこの基本がなってなかったという佐藤は、原元さんから「次やったら破門」という宣告を3回もされてしまったといいます。
それは例えば「期日を守らずに遅れて提出した」時。この時は「送る前にまずは謝罪じゃないの」と言われたそうです。
レッスンを行っていたビルの6階で、10分ぐらい謝罪の練習をしてからピンポンを押すほどの緊張感を持つくらい、厳しい指導をしてもらっていたという佐藤。
この「挨拶・お礼・謝罪・報告」の言葉は、今でも佐藤のスマホの待ち受けにあるそうです。
この日、師匠である原元さんの同期の小高の代役で番組に登場した佐藤は、「この巡り合わせもとても感慨深い」としみじみ。
「これからもこの思いを忘れずに、CBCで働いていきたい」と語った佐藤でした。
(minto)
社会人としては当然ともいえるこの基本がなってなかったという佐藤は、原元さんから「次やったら破門」という宣告を3回もされてしまったといいます。
それは例えば「期日を守らずに遅れて提出した」時。この時は「送る前にまずは謝罪じゃないの」と言われたそうです。
レッスンを行っていたビルの6階で、10分ぐらい謝罪の練習をしてからピンポンを押すほどの緊張感を持つくらい、厳しい指導をしてもらっていたという佐藤。
この「挨拶・お礼・謝罪・報告」の言葉は、今でも佐藤のスマホの待ち受けにあるそうです。
この日、師匠である原元さんの同期の小高の代役で番組に登場した佐藤は、「この巡り合わせもとても感慨深い」としみじみ。
「これからもこの思いを忘れずに、CBCで働いていきたい」と語った佐藤でした。
(minto)
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