名古屋を拠点に活躍し、「アマチン」の愛称で親しまれた俳優・天野鎮雄さんが11月5日に87歳で亡くなられました。
1936年(昭和11年)に名古屋で生まれ、愛知学芸大学(現在の愛知教育大学)の学生時代にNHK名古屋放送劇団に入団。
卒業後は文学座研究生などを経て、1985年(昭和60年)には妻の山田昌さんと劇団「劇座」を旗揚げしました。
地元の名古屋で放送されているラジオ番組『つボイノリオの聞けば聞くほど』(CBCラジオ)にも、たくさんの悼む声が多く届きました。
名古屋を中心に活躍、「アマチン」こと天野鎮雄さんの訃報に悼む声多く
深夜番組のDJとしても活躍
天野さんは舞台はもちろん、『中学生日記』(NHK総合)や大河ドラマ『太閤記』(NHK総合)などのドラマに出演。
かつて東海ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』のパーソナリティとして人気を博し、奇しくも天野さんの後任を務めたのが、つボイノリオでした。
「アマチンさんのあの優しい声がもう聞けないのかと思うと寂しいです。
アマチンさんからつボイさんへ『ミッドナイト東海』(東海ラジオ)の月曜パーソナリティが交代する日に、名駅のホーム内のうどんをごちそうしてもらったんですよね」(Aさん)
また、つい先日までラジオ番組に出演されるなど、お元気な様子でした。
「番組の『花のDJ稼業50周年』特集(2022年5月3日放送)にも出演されましたよね。
深夜放送の楽しいトークを聞かせてもらいました」(Bさん)
「アマチンさんもつボイさんより年上だけど、戦友みたいな方だったんだなと、深夜放送黎明期からご活躍された2人のトーク、とても愛おしく思いました」(Cさん)
かつて東海ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』のパーソナリティとして人気を博し、奇しくも天野さんの後任を務めたのが、つボイノリオでした。
「アマチンさんのあの優しい声がもう聞けないのかと思うと寂しいです。
アマチンさんからつボイさんへ『ミッドナイト東海』(東海ラジオ)の月曜パーソナリティが交代する日に、名駅のホーム内のうどんをごちそうしてもらったんですよね」(Aさん)
また、つい先日までラジオ番組に出演されるなど、お元気な様子でした。
「番組の『花のDJ稼業50周年』特集(2022年5月3日放送)にも出演されましたよね。
深夜放送の楽しいトークを聞かせてもらいました」(Bさん)
「アマチンさんもつボイさんより年上だけど、戦友みたいな方だったんだなと、深夜放送黎明期からご活躍された2人のトーク、とても愛おしく思いました」(Cさん)
『中学生日記』などにも出演
つボイは現在74歳ですが、最近も同世代の歌手谷村新司さんや、さらに若いもんたよしのりさんの訃報に接するなど、考えさせられるものがあります。
「最近は自分の同世代や夢中になった方々の訃報に接すると、時の流れと74歳の自分も終末を真剣に考えないといけないのかなと思います」(Dさん)
また、天野さんが出演したドラマやラジオ番組で影響を受けた方々は少なくありません。
「私がこどもの頃、『中学生日記』に天野さんが先生役で出ていたその時の演技を見て、私も先生になろうと憧れて、教師になりました」(Eさん)
「深夜放送や『中学生日記』を見聞きしていましたが、またひとり、名古屋の宝がなくなりました…」(Fさん)
「名古屋ラジオ界の重鎮、天野鎮雄さん。『ミッドナイト東海』は世代的にわかりませんが、朝のラジオは父と一緒に聞いていて、私が小学校高学年から高校時代までやっていました。
先日の谷村新司さんの訃報の時にも感じましたが、また一歩昭和の時代のラジオが遠くなったような気がします」(Gさん)
「最近は自分の同世代や夢中になった方々の訃報に接すると、時の流れと74歳の自分も終末を真剣に考えないといけないのかなと思います」(Dさん)
また、天野さんが出演したドラマやラジオ番組で影響を受けた方々は少なくありません。
「私がこどもの頃、『中学生日記』に天野さんが先生役で出ていたその時の演技を見て、私も先生になろうと憧れて、教師になりました」(Eさん)
「深夜放送や『中学生日記』を見聞きしていましたが、またひとり、名古屋の宝がなくなりました…」(Fさん)
「名古屋ラジオ界の重鎮、天野鎮雄さん。『ミッドナイト東海』は世代的にわかりませんが、朝のラジオは父と一緒に聞いていて、私が小学校高学年から高校時代までやっていました。
先日の谷村新司さんの訃報の時にも感じましたが、また一歩昭和の時代のラジオが遠くなったような気がします」(Gさん)
優しく接してもらった思い出
また、放送を通じてだけではなく、実際に観て会って影響を受けた方もいらっしゃいます。
「15年も前のことになりますが、私は名古屋市芸術創造センターでアマチンさんが出演された『尾張だゃあつうグラフィティ』の遊女役で出させてもらいました。
素人の私にも気さくに声を掛けてくださり、無事4日間、舞台に立たせていただきました。
素敵な思い出になりました。ありがとうございました」(Hさん)
「一番の思い出になっているのは、名古屋弁による『フィガロの結婚』の舞台でした。
原作はもちろんモーツァルトのオペラですが、当時はオペラを観たことがなく、何やら難しいものだろうと思ってましたが、この劇で楽しさを知って、後に本物のオペラも楽しめるようになりました」(Iさん)
つボイがおたよりを紹介してきましたが、これもほんの一部。
まだまだたくさんの思い出が番組宛てには届きました。
(岡本)
「15年も前のことになりますが、私は名古屋市芸術創造センターでアマチンさんが出演された『尾張だゃあつうグラフィティ』の遊女役で出させてもらいました。
素人の私にも気さくに声を掛けてくださり、無事4日間、舞台に立たせていただきました。
素敵な思い出になりました。ありがとうございました」(Hさん)
「一番の思い出になっているのは、名古屋弁による『フィガロの結婚』の舞台でした。
原作はもちろんモーツァルトのオペラですが、当時はオペラを観たことがなく、何やら難しいものだろうと思ってましたが、この劇で楽しさを知って、後に本物のオペラも楽しめるようになりました」(Iさん)
つボイがおたよりを紹介してきましたが、これもほんの一部。
まだまだたくさんの思い出が番組宛てには届きました。
(岡本)
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