つボイノリオの聞けば聞くほど

名古屋のラジオレジェンド・つボイノリオと天野鎮雄が振り返る深夜放送ブーム

名古屋を代表するラジオパーソナリティのつボイノリオは、1972年(昭和47年)に東海ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』でDJ(ディスクジョッキー)としてデビューし、50年を迎えました。

5月3日、CBCラジオ『つボイノリオの聞けば聞くほど』では「花のDJ稼業50周年」と題した3日連続特集の初日を放送。

デビュー当時『ミッドナイト東海』の先輩DJだった俳優の「アマチン」こと天野鎮雄さんと、半世紀前の名古屋の深夜番組事情を語ります。

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初めてのラジオ出演

東海ラジオの『ミッドナイト東海』は、1968年(昭和43年)3月から1983年(昭和58年)8月まで放送された深夜番組です。
つボイが担当したのは、1972年5月から9月までの5か月間でした。

つボイ「もうちょっと前から言えば、初めてラジオに出たのはCBCです」

CBCラジオが放送していた深夜番組『CBCヤングリクエスト』に、愛知県周辺の私立大学のフォークソング研究会が持ち回りで出演する企画があったそうです。

1969年(昭和44年)には愛知大学に在籍していたつボイもその流れで出演。
これがつボイのラジオ初出演となったのです。

チェリッシュに自慢

つボイ「レギュラーでもないしプロでもないです。ゲストで出たんです。そこで『本願寺ぶるーす』を歌ってレコードが出ました」

CBCラジオ初出演の翌年の1970年4月25日、テイチクからシングル「本願寺ぶるーす」がリリースされました。

つボイ「チェリッシュなんか、私が出した時は全然出てへん」

現在は夫婦デュオとして知られるチェリッシュは、当時名古屋の学生たちによって結成された5人組のバンドでした。

レコード発売を羨ましがっていたチェリッシュのメンバーたちに、「これじゃ!これじゃあ見てみい!こっちがA面、裏がB面や。お前らは一生、出んわ」と自慢していたつボイ。

一方チェリッシュは、さらに翌年の1971年9月5日に「なのにあなたは京都へゆくの」でデビュー。いきなりロングヒット曲となり、35万枚を売り上げました。
その後も結婚式の定番となった「てんとう虫のサンバ」などのヒット曲をリリースします。

あっという間に抜かれてしまったつボイでした。

深夜番組の冒険

つボイ「当時のラジオというのは深夜放送がダーッと出てきたんですね。いい時間帯はスポンサーが付きますが、深夜枠はみんな寝てる時間ですから、冒険ができるわけですよ。やらしとけや、いうことです」

そのパーソナリティとして注目されたのがフォークシンガーたち。
ステージでのトークの面白さから次々と抜擢されていくことになります。

東京でも泉谷しげるなどが注目され、大阪でもアリスや杉田二郎などが人気を呼んでいました。
その流れは名古屋にも訪れ、つボイたちが注目されたのです。

つボイ「僕が学生の時にレコード出していた。この辺りでは私が一番最初に出したんです」
小高「“この辺り”って狭いけどね」

ミッドナイト東海

前述の『ミッドナイト東海』、どんな番組だったのでしょうか。

つボイ「私がやる前は、アマチン(天野鎮雄さん)、リコタン(岡本典子さん)、レオ(森本レオさん)。これがもう大フィーバーです。ものすごい人気やったですよ」

番組開始の翌年にはこの3人によるステージが開催され、なんと1万人のリスナーが集まるほどの人気ぶりでした。

そして72年(昭和47年)に天野さんが朝の番組を担当することになり、後任として抜擢されたのがつボイでした。

その天野鎮雄さんとつボイノリオが対談することになりました。

1万人のリスナー

つボイ「アマチンさんとお呼びします。直接お会いするのは何年ぶりでしょう?」

天野「僕は30年か40年ぶりぐらいに思ってますよ」

朝の番組に移動する天ちんさんの後釜がつボイ。交代の時に会っているそうです。

つボイ「あれがデビューなんですよ。右も左も何にも分からない。しかもアマチンさんという巨人の後に、私のようなものが」

天野「ちょっと言い過ぎだよ(笑)」

つボイ「そんなことない。アマチン、リコタン、レオ。この三人で、愛知県体育館一万人集会というのをやりましたやん」

天野「僕らもびっくりした」

つボイ「今のラジオに、そんな力ありますか?」

天野「高校生がそんなに集まるわけないだろうって思ってたのが、『会場を十重二十重に巻いてるよ』っていうんで、えー?って僕ら、見に行った覚えあります」

そんな力はないのに

インタビュー冒頭を放送し、当時を振り返るつボイ。
偉大なアマチンの後釜となったつボイには様々な反応があったようです。

「お前にアマチンの後釜できるか?」はまだいい方。

つボイ「『お前がアマチンを辞めさせたんだろう』というおたよりがガンガン来ましたよ。私にそんな力あると思う?」

1万人も集めるようなDJの采配権をつボイが持っているはずもありません。
しかし中学生、高校生の思考では「つボイが辞めさせた」となるのは仕方ありません。

つボイ「その非難をなだめながらです。『僕もアマチンさんの後釜として恥ずかしくないようにやってきます。ぜひ、皆さん…』というとこからのスタートやわ。エライこってしたわ」

3人が作った名古屋の放送文化

小高「マイナスイメージからの出発だし、つボイさんはアマチンさんのキャラとは全く違う」

つボイ「そうなんです」

小高「アマチンさんを真似て、そっち系の方向でやってこうとはしなかったの?」

つボイ「やれんもん。あんな風にはできませんもん」

『ミッドナイト東海』では、先輩三人が絶妙なバランスを取っていたんだそうです。

つボイ「リコタンがお姉さん。そしてアマチンは頼れる兄貴。レオはちょっとカッコいい兄貴。3人揃ってすごい放送文化を作ってたわけです」

熱かった名古屋の深夜放送。この後もつボイのDJ稼業が語られていきました。 
(尾関)
つボイノリオの聞けば聞くほど
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2022年05月03日09時14分~抜粋

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