粘着力のある付箋・ポストイットを発明した科学者、スペンサー・シルバーさんが今月8日、アメリカミネソタ州の自宅で亡くなりました。
ポストイットとは切っても切れない関係といえば、毎日朝から晩までおたよりにペタペタ貼り付けているつボイノリオ。
小高直子アナウンサー調べによると、つボイは「日本一ポストイットを使うパーソナリティ」なんだとか。
5月24日放送の『つボイノリオの聞けば聞くほど』では、小高がポストイットの意外な誕生秘話について解説しました。
つボイノリオの愛用品
ポストイットは、化学・電気素材メーカー「スリーエム」の商品。1980年にアメリカで発売され、現在では約100カ国以上で販売されています。日本では1981年に発売されました。
いろいろな形がありますが、つボイが愛用しているのは、先が赤・オレンジ・青・緑の4種類が束1パックに入った「ポスト・イット® ふせん小 再生紙 スタンダードシリーズ 560RP-R」。
「これでピンと来る人は、ものすごいポストイット通」と小高。
ポストイット使いパーソナリティ
シルバーさんが亡くなったニュースを耳にしたリスナーから、つボイ宛てにおたよりが多く寄せられました。
「つボイさんにとって、生活必需品の最たるもののひとつであるポストイット。おたよりに貼り付けている付箋のすごさは、超有名ですよね。そのポストイットの生みの親であるスペンサー・シルバーさんが亡くなったそうです」(Aさん)
「今日もたくさんのポストイットに囲まれてお仕事してるでしょ。もちろん私もいつも使っております」(Bさん)
「これこそつボイさんに製品提供されてもいいんじゃないんでしょうかね」(Cさん)
売り上げにかなり貢献しているつボイですが、「全部自費で買っております」とひとこと。
とはいえ「ポストイット使いパーソナリティ・つボイノリオ」に注目したスリーエムの方が、この番組に挨拶に来られたこともあるそうです。
ポストイット誕生秘話
今では世界中の人が便利に使っているポストイットですが、元々は本来の目的とは違うものでした。スリーエムのホームページには、ポストイットの誕生秘話が載っています。
開発者シルバーさんのセリフを、つボイが外国人男性風に力強く読みあげます。
「その当時、私たちはより優れて強い丈夫な接着剤を開発しようとしていました。しかし、それは目指していたものとは全く異なる性質のものでした」
強力な接着を目指していたのに、完成したものは「表面には軽くくっつくものの、しっかりとはくっつかず、ペロっと取れる接着剤」だったのです。
シルバーさんはそこから何年もの間、自分が発明した接着剤の使い道を諦めずに悩み続けました。
転機は聖歌隊にあり
「これで何か商品開発できませんかね?」と、社内のあらゆる部門の人に紹介してまわるシルバーさん。
この諦めない姿勢から、シルバーさんは「Mr. Persistent(粘り強い人)」という名前で呼ばれるようになりました。
シルバーさんが謎の接着剤を発見してから5年、ある転機が訪れます。それは、同じくスリーエムの科学者であるアート・フライさんが、聖歌隊として教会で讃美歌を歌っていたときのこと。
その日に歌う讃美歌のフレーズに小さい紙をしおりとして挟んでいたのフライさん。ページをめくると、紙が落ちてイライラ。そんなとき、フライさんはこう思ったのです。
つボイが、2人目の外国人男性の声色を真似します。
「そうだ!これにあの接着剤を使えばいいんだ!そのことを思いついた時、それはまさに興奮状態でした」
シルバーさんと声色を変える小技を利かせるつボイ。
失敗、偶然から誕生した商品
シルバーさんとフライさんは、2人で製品開発を始めます。
「製品自体が貼ったりはがしたりできる機能を備えた、まったく新しいメモ・ノートとして、社内でのコミュニケーションツールとして使えるのではないか」と思いついたのです。
試作品を作って、社内で配ったところ大好評! しかし、1977年に行ったアメリカ4大都市のテスト販売では、購入者の人数は伸びませんでした。
そこで、消費者に直接試供品を届ける作戦に変更したところ、試した人の9割は「次は買うよ!」と高評価。1980年の発売後、瞬く間に広がったのです。
ポストイットはある意味失敗、偶然から誕生した商品。
それがシルバーさんの諦めない姿勢で世界的なヒットに繋がり、日本ではつボイノリオが毎日便利に使う商品になったというわけです。
(minto)
つボイノリオの聞けば聞くほど
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2021年05月24日11時06分~抜粋