つボイノリオの聞けば聞くほど

ニトリ創業者、似鳥昭雄会長の言葉。「私は9割が欠点で何もできない」

「私は9割が欠点です。接客も後片付けも在庫管理も仕入れも計算も、何もできません。妻と従業員のおかげでここまで来ました」

これは、株式会社ニトリの創業者で、株式会社ニトリホールディングスの代表取締役会長である似鳥昭雄さんの言葉です。

5月25日放送の『つボイノリオの聞けば聞くほど』、いろいろな人のいろいろな言葉を紹介する「社長のお役立ち・歴史の知恵袋」のコーナーでは、印象的なこの言葉を取り上げました。

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5カ月で解雇

「9割が欠点で何もできない」という言葉を聞いて、「どういうだらしない人やと思ったら、ニトリの社長やないか!」と驚いてしまったというつボイノリオ。

「ニトリ」といえば、家具を中心にお家で必要なものならなんでもそろうお店。

「ポイント集めとるよ」と、つボイは常連をアピールします。

似鳥会長は1944年に樺太(現在のサハリン)で生まれ、3歳で帰国し、父の故郷である札幌で育ちました。

大学卒業後、父が営んでいたコンクリート販売会社に入社しましたが、体調を崩して退社。

その後広告代理店に入社したものの契約がまったく取れず、5カ月で解雇されてしまいます。

このまさかのエピソードに、「なんや、あかん人やなと思いますけどね(笑)」「あかん人というか、だいぶ苦労した感じですよね」と感想を述べるつボイと小高直子。

現在のイメージからかけ離れている若き似鳥会長の姿に驚いた様子。
 

人の3倍働くか、人がやらないことをやるか

1967年の23歳の頃、似鳥会長は札幌に30坪の似鳥家具店を創業します。

当時「土木作業員も営業もダメだった。この先、何をやっていけばいいんだろうか」と悩んでいた似鳥会長。

そんな折、父親から「この先食っていくためには、人の3倍働くか、人がやらないことをやるかだ!」とアドバイスを受けます。

「近所にないものはなにか?」と探したところ、目を付けたのが家具店だったというわけです。

軌道に乗り2店舗目を出店した頃、近所に巨大な家具店がオープン。

経営が苦しかった時に、知り合いの誘いでアメリカで行われた家具業界向けのセミナー研修に参加しました。

「家具の色やデザインが統一されていて美しく、しかも安い」とアメリカの生活の豊かさに衝撃を受けた似鳥会長は、「日本人にもこのような豊かな生活を提供したい」という思いを持つようになったのです。
 

コストを下げるための取り組み

1978年には社名を「株式会社ニトリ家具」に変更。

現在は商品の企画製造や輸入、物流まですべてを自社で手掛ける「製造小売り企業」として成功を収めています。

2015年には400店舗を達成。

全国に出店していますが、その場所を決めるための調査は不動産業者に頼まず、自社で行っています。

「就職先で失敗しちゃったり、経営苦しくなったりといういろんな苦難を経て。『近所にないから』という理由で選んだ仕事をここまで大きくしたというのがビックリですね」と小高。

コストを下げるために、いろいろな部門の仕事を自社でやってみる。

最初は失敗して損をすることもありましたが、「慣れれば、いわゆる常識にとらわれず、自分たちのやり方を見つけてコストを下げることができるようになる」と考えているそうです。

「仕事をする上でやりたいことが明確になると、そこに向かって何をすればいいのかもおのずとわかってくるかもしれません」と、まとめたつボイ。
 

「私は9割が欠点」

今回の冒頭の似鳥会長の言葉は、リスナーAさんから寄せられたものです。

「会長のイメージは『なんでもできる』という印象だったんですが、できなくても社長になれるんですね」とAさん。

大成功を収めながらも「私は9割が欠点」と言い切る似鳥会長。
なかなかこんな風に自分を分析できる人は少ないのではないでしょうか。

それでは最後に、似鳥会長の言葉をもう一度。

「私は9割が欠点です。接客も後片付けも在庫管理も仕入れも計算も、何もできません。妻と従業員のおかげでここまで来ました」
(minto)
 
つボイノリオの聞けば聞くほど
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2020年05月25日10時31分~抜粋

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